第1日:「13の月の暦」

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7日間セミナー・第1日・13の月の暦

銀河の月9日 キン198「白い電気の鏡」

銀河の七方向への祈り

ロイディーン:

みなさん、こんばんは。今回で日本へ来るのは5回目になりますけれども、来日できてうれしく思っております。今日からみなさんと一緒に7日間に渡って、「時間の法則」のセミナーを行ないたいと思います。通訳は高橋徹さんと、彼をサポートする滝元さんです。始める前に、まず姿勢を正して大きく深呼吸をしたいと思います。そして、現在という時間の中心にある無時間(No Time)の中心に自分を置くようにしてみて下さい。

「時間の法則」というものは、これまで無意識だったものを意識化させる働きを持っています。今晩は、<13の月の暦>に関してお話したいと思います。それは、「時間の科学」とも言えるものですが、その中の「周期性秩序」というものがテーマです。「周期性秩序」という観点からすると、あらゆるものが周期的なプロセスの中を動いています。私たちはここで7日間みなさんとともに過ごします。この7日間というのは、もともとチリで7週間に渡って行なわれた28回のセッションを再現するものです。膨大な時間に渡ったものを7日間でお伝えするので、かなりかいつまんだ内容になると思います。新しいことを学ぶ際には、できるだけ心をオープンにして、それを受け止めるようにしてみて下さい。新しいことなので、すぐには理解できなくてもそのままの状態にしておいて、わからなくても当然だという形で受け取ってもらえればと思います。
<13の月の暦>は、28日周期に基づいてできています。これは人間の生物学的な周期です。人間存在として私たちはみな「いま、ここ」という瞬間に生きています。今日は<13の月の暦>でいうと、「銀河の月9日」という日です。<ドリームスペル>の『キンの書』から今日に相当するところを読んでみたいと思います。私たちは「調波50」というところにいます。「倍音の母体」と呼ばれる位置です。そして、「普遍的な火を自己制御する」という調波にいます。キン番号は198番、「白い電気の鏡」です。

私は映し出すために活性化する
秩序をつなぎ止めながら
奉仕の電気の音で
果てしなさの母体を封印する
私は霊の力に導かれる

これは四次元的なカレンダーからくる新しい要素になります。これは<ドリームスペル>の方の話ですので、その前に28日間の<13の月の暦>の話をしてみたいと思います。

ホゼ:

みなさん、こんばんは。今度は私の番です。こちらに座っている女性(ロイディーン)の夫にあたるのが私です。先ほどチリの方の話がありましたが、今回で5回目の来日となりました。はじめは5年前ですが、私たちは毎回ただひとつの目的を持って日本にやって来ます。それは「時間の法則」の知識をさらに深め、高めるという目的です。5年前は、まだ「時間の法則」の話をしているということについて、私たち自身がよく認識できていませんでした。というのは、私たち自身が新しい知識を開いていくプロセスの最中だったからです。私たちが最初に日本に来たときは、<13の月の暦>を広めるという目的がありました。そして、<13の月の暦>の目的である宇宙の周期に合わせて、調和の取れた人間存在として私たち自身を回復していくという目的がありました。このような目的を持って、妻と私は1989年の時点から活動をしています。

それ以前の35年間は、私はマヤ暦を研究する学者であり、また生徒にしか過ぎませんでした。マヤ暦を研究していく中で、私は暦に内在している数学に焦点をあてていきました。マヤ暦の背後にある数学を追求していった結果、現在私たちが「時間の法則」と呼んでいるものに突き当たりました。私たち自身、またみなさんを含めて「時間の法則」について知らないというのは、実に興味深いことです。たとえば、ニュートンは「万有引力の法則」を発見しましたが、ニュートンの発見した「万有引力の法則」は、その後、空間を探究することによって、宇宙全体に関する知識というものを生み出しました。またアインシュタインという科学者が100年前に「相対性理論」というものを打ち立てました。世界中のどこの大学でも、物理学の研究を行ない、講座を開いています。物理学は空間の力学に基づいた学問で、それを応用して宇宙にロケットを飛ばすこともできます。ところが、そのような物理学に較べると、「時間の科学」というものを扱っている大学はほとんどありません。時間の授業を持つ大学は、少なくともこの惑星地球上においてはほとんどないわけです。従って、私たちは空間(宇宙/Space)に関しては知識があっても、時間に関してはほとんど何も知らないわけです。

子供に時間について教えるとき、私たちは時計の読み方を教えます。子供が時計の読み方を覚えると、それでもう時間についての学習は終わりになります。なぜこういう状況なのでしょうか?なぜ私たちはこれまで「時間の法則」というものを知らなかったのでしょうか?詩人は時間について語ります。あらゆる傷は時間によって癒されるとか、時間が山をも破壊するという表現があります。では時間とはいったい何なのでしょうか?空間をみれば、これは空間だということがわかります。天井とか壁とか、そういうものがあります。ではこの部屋の中に時間を見つけることはできるでしょうか?

時間は時計だけではなく、カレンダーによっても計られます。先ほども話しましたが、時計やカレンダーの読み方を知ってしまえば、それで時間について知ったように感じます。それがすべてなのです。そのような観点からすると、時間は一種の独裁者のようなものかもしれません。毎朝9時に会社にいかなければいけないとしたら、その理由がわかると思います。また、一般的に時間はとても大切なものだということになっています。時間が現代社会を支配しているという考え方もあります。それは「時は金なり(Time is Money.)」という考え方です。私たちは時間について3つのことを知っています。それは時は時計である、時はカレンダーである、時はお金であるという、以上3つです。それが時間が傷を癒すとか山を壊すということとどういう関係があるのでしょうか?

私たちは現代人として非常に複雑な知性を持っているように思っていますが、時間についてはほとんど何も知らないわけです。それを、たった2つの道具に置き換えて、それをひとつの教義としているわけです。その2つが時計とカレンダーです。時計とカレンダーに教義を集約してしまったために、それ以外の時間とは何なのかという可能性については考えなくなっています。私たちには、「時間が足りない。もっと時間が欲しい」というレベルでの葛藤があります。「時間の法則について聞いたことがありますか?」とだれかに尋ねると「勉強したい思うんだけど、時間がありません。すごく面白そうだけど、学ぶ時間がないんです」というような答えが返ってきます。非常に興味深い話題です。
私自身も、決して最初から「時間の法則」から生じた様々な研究をするようになるとは思ってもいませんでした。しかし、先ほど話しましたように、マヤの暦や文明について研究するうちに、時間そのものについて考えるようになってきたのです。そして、時間をどのように捉えたらいいのかと考えるようになりました。なぜマヤの人たちは17種類もの暦を使っていたのだろうかとか、彼らは時間についてまったく別の考え方をしていたのではないだろうかとか。また、現在私たちが見失っていることがあるのではないのだろうかということを考えたのです。

この7日間にわたるセミナーの目的は、「時間の法則」の様々な側面、様々な次元について探求していくことです。「時間の法則」について話しをするときは、実際にはあるひとつの公式について話していることになります。それは「T(E)=ART」、つまり「時間によって因数分解されるエネルギーは芸術に等しい」という公式です。これは、アインシュタインのE=MCの2乗とは違うものですが、それ以上のことを教えてくれるものです。応用分野も異なっています。たとえば、E=MCの2乗は、色々な形で応用されましたが、中でも特筆すべきは原子爆弾を作るのに役立った公式だということです。たとえばアメリカの『TIME』という雑誌では、今世紀の人にアインシュタインを挙げています。しかし『TIME』誌が見過ごしていることがひとつあります。それは、アインシュタインがルーズベルト大統領に1939年に送った書簡のことです。その書簡は、大統領に「私の公式を応用して、相対性理論を導入すれば、ある種の武器ができますよ」ということを伝えています。その武器が広島や長崎で使われたのです。

ですから新しい公式が必要なんです。もっと物事をホジティブにするような、別の公式が必要なのです。この公式(E=MC^2)は消してしまって、別の公式を試してみましょう。この方がずっと短いですし。T(E)=ART、時間によって因数分解されるエネルギーは芸術に等しい....です。ここで、みなさんにひとつ質問をしてみましょう。みなさんは、いままで生きてきて、醜い夕日を見たことがありますか?あるいは、醜い桜の花を見たことがあるでしょうか?サソリでさえも華麗に踊ります。雪の結晶も、ひとつひとつがみな違った美しい形をしています。雲は空で変化し続けています。このように自然界にあるすべてがこの公式の応用であり、一例であり、表現なのです。

宇宙に存在するすべてが、この法則に従っています。たとえば、夜が明けて、太陽が昇り始めると、鳥たちのコーラスが聞こえてきますが、鳥たちが鳴くのは、「時間の法則」に従って生きているからです。いつ鳴いたり歌ったりしたらいいのかを、彼らは知っているわけです。太陽が沈むと、鳥も静かになります。夏の夜になるとある種類の昆虫は鳴きはじめ、別の昆虫は鳴き止むというような現象が見られます。このように、万物すべてがこの法則に従っています。
先ほど、妻も言いましたが、「時間の法則」は、これまで無意識だったものを意識化します。「時間の法則」を発見する前までは、鳥や昆虫、あるいは動植物などがある特定のリズムを持っているということを、私たちは本能的に漠然と知っていました。しかし、その様々な生き物たちが「時間の法則」に従っているということに関しては無意識でした。でも、いま私たちは「時間の法則」が存在することを知っています。本当の時間は何かということを考えるまでは、時計が時間を表していると思っていたわけです。時間は時計ではありません。時計はただの機械です。時計はトランジスタなどで動いてるだけのもので、本来、時間とはまったく関係のないものです。

私たちが使っているカレンダーには二種類あるわけですが、ひとつは伝統的な太陰暦、もうひとつは一般的に世界中で使われ、また世界を支配しているグレゴリオ暦です。太陰暦は月の暦ですから、月の満ち欠けに従った形でできています。それは理にかなっています。ではグレゴリオ暦はいったい何を計っているのでしょうか?太陰暦は、新月から次の新月までの時間を計っています。では31日ある現在の暦は何を計っているのでしょうか? 31、28、31、30、31、30日....というリズム・パターンはいったい何なのでしょうか?自然界にはそのようなパターンに従っているものは何ひとつありません。それは単なる、不規則で人工的なパターンにしか過ぎないのです。もし私たちが自然と全く無関係なパターンに従い続けているとしたら、また、文明化された社会が、完全にそれに乗って動いているとしたら、私たち自身が自然と切り離されてしまうのも当然のことと言えるかもしれません。そんなカレンダーに従っている社会が、自然を破壊しているとしても不思議はありません。

私たちが発見したことのひとつは、時間というのは実際には「数学的比率」だということです。それは「13:20」という比率で、ひとつの定数です。それはちょうど「光の速度が一定である」というのと同じ意味での定数です。自然界にあるあらゆるものは、一種のエネルギーだと考えることができます。私たち自身もエネルギーです。DNAコードによって構成された生物学的、あるいは生物化学的エネルギーの一種だと考えることができます。また、海や山などもある種のエネルギー形態だと考えることもできます。つまり、生きているものすべてがエネルギーです。従って、宇宙で起こるすべての現象が、この定数の現れであると考えることができます。

このエネルギーの質や形態に応じて、この定数がある特定のリズムや周期を生み出します。しかしここでただひとつだけ例外があります。それが人間です。人間は自然時間を拒否した唯一の生物種なのです。唯一人間だけが人工的な時間の中に生き、それに基づいた生活を営んでいます。これは常にそうであったというわけではありません。しかし、少なくとも過去400年の間、地球上に住むほとんどの人間が、自然時間ではなく人工時間を選んで、それに従って生きてきました。 自然時間を選択して、それによって生きようとする人間もいました。たとえば、アマゾンのインディアンたちです。しかし、彼らは急速に破滅に向かっています。人工時間に沿って生きている人間たちが、アマゾンのようなところに行って、言葉巧みに彼らをだまして、そこに住んでいる彼らを追い出してしまうからです。そして彼らの生活そのもの、生き方そのものを破壊してしまうからです。
そういう意味からすると、現時点で自然時間そのものに沿って生きている人間は非常に少ないといえます。熱帯雨林がどんどん破壊されています。産業化された欧米や日本などでは、いまのままの生活を続けていくと、ますます自然から切り離されてしまいます。

私は銀河の人類学者です。この惑星にやってきて、この惑星を見ています。そして、人間たちがどういうふうにしているかを見ています。人間たちは大きな矛盾を受け入れています。そしてほとんど無力になっているというのは驚くべきことです。決断をしたのがだれなのか、だれも知らないように見えます。新しい決断がなれさても、それは新しい高速道路や新しい空港を建設するという決断ばかりです。コンピューター、列車、飛行機など、あらゆるものの速度が増しているだけです。高層ビルがどんどん建てられる一方です。

「時間の法則」は、こういったことすべてを問題にします。もし私たちが目を醒まして、理解しようとするのであれば、いったいどうしてこんなことになってしまったのかを理解し、もう一度時間について見つめ直してみなければなりません。
明治天皇は1873年にグレゴリオ暦を採用しました。それは127年前のことで、それほど昔のことではありません。神武天皇の時代と較べると、つい最近のことです。神武天皇から明治天皇まではどのくらいの時間があるのでしょう? 明治天皇から現在までと比較すると、現在までに至る方がはるかに短いです。1873年の1月1日からグレゴリオ暦が採用されましたが、その後、日本社会はどうなったでしょうか?それまで日本は諸外国と戦争をしたことがありませんでしたが、産業化が始まると、まず最初にロシアを打ち破りました。そしてそのまま第二次世界大戦に突入していきました。その後、米軍に占領された日本は、世界でも屈指の技術大国になりました。

私たちは世界中を旅していますが、現時点でも、日本の社会というのは、驚くほど技術的に進歩した社会です。こんな社会は、他国ではほとんど見つかりません。日本が現在のようなテクノロジー社会になったその背景には、127年前のグレゴリオ暦の採用ということがあります。だからこそ、私たちは5年前に日本にやって来たのです。明治時代以前の日本は、とてもまともな歴史を持っていたからです。そして明治時代になって変化が起きたというのは、非常に深い意味を持っています。そしてそれはカレンダーに関係があることなのです。明治時代以降に生じた産業化や議会制度、機械化、また武器を用いた戦争などは、みなそこから生じてきたのです。もちろん、銀行制度などは言うまでもありません。これらすべてが日本の現代社会を特徴付けています。

ところで、なぜ私たちはカレンダーを持っているのでしょうか?カレンダーを使う目的というのは何なのでしょうか? たとえば、カレンダーには約束を書き込んだりしますが、それ以上のことはあまり考えません。「コズミック・ダイアリー」のようなカレンダーもあります。「コズミック・ダイアリー」は、実際はもっと他のこともできます。カレンダーは私たちの時間を管理して、それを組織していくためのものです。カレンダーによって、私たちは習慣や記憶というものを、より永らえ、保とうとするわけです。

面白いことに、鳥はカレンダーを持っていません。また樹木は年輪を作ります。最近知ったことなのですが、イルカは自分たちの歯を使って時間を計り、管理しているそうです。イルカの歯には、28日ごとにある印が刻まれるそうです。その印が1年に13回刻まれ、28日ごとにある印が刻まれて、その印が13回刻まれると、それが大きなものに変化するのだそうです。これは実際に調査されたことで、ニューエイジのおとぎ話などではありません。ニューエイジの人たちはイルカが好きですから、イルカのことをニューエイジの一部だと考えがちですが....。つまり生物種によっては、時間を管理し計測するという機能が、体内にあるということです。世界中の亀の多くは、甲羅が13枚に分かれています。彼らは自ら時間を計っています。一方、人間はカレンダーを使います。ですから、カレンダーが「時間の法則」を理解する上での最初の入口ということになります。

しかし時間というのは直接触るのが難しいものです。「今日、時間を触ったよ」というような人はあまりいません。通常、時間は非常に主観的なものだと言われます。「すごく退屈な感じがする」、「すごく楽しい」、「とてもいいときを過ごした」、「ひどいときを過ごした」、「まあまあだった」、「時間をつぶしたい」など、様々な表現が英語にあります。実はこれらは、私たちの主観的な心の状態を表した表現です。ですから「時間というものは、私たちの心に属する」という言い方ができます。時間は、いま、ここで触れるものとは明らかに異なっています。私たちはまったく純粋に精神的なレベルで時間を体験しています。
一日をみると、時間が昼を生み、また夜をつくり出しているのがわかります。時間は一種の周期的な質というものを持っています。たとえば、一日の周期は、太陽が昇り、また沈むという自然現象を通して実感できます。夜になると、月が独自の周期を持っていることもわかります。月の周期それは時間に関係があるものです。月の満ち欠けの位相によって時間を計る人もいます。太陽が何回昇ったか沈んだかによって日数を数えることもできます。自然現象の周期的な繰り返しも、何らかの形で時間と関係がありますし、私たちの主観的な心の状態も何らかの形で時間に関係があります。
一方は周期的な自然現象、もう一方は私たちの心の中の動き、この2つは一見結びつきにくいものに思えますが、どちらも何らかの形で時間に関係があります。

もう一種類、別の時間があります。たとえば、座ってもう3年間も会ったことのない友達のことを考えていると、急に電話が掛かってきて、それが偶然その友達だったとか。それはまた別のレベルの時間だと言えるかもしれません。それを偶然の一致とか、シンクロニシティと呼びます。シンクロニシティという言葉は、物事が同時に起きるという意味です。それは、私たちの心には特別な意味を持っています。しかし、そういったレベルの現象は、なかなか全体像を把握しづらいものです。
アインシュタインは「時間は四次元である」と言いました。空間は三次元で、4番目の次元として時間があるという考え方です。しかしながらアインシュタインや彼を含めたそれ以降の科学者も、時間が四次元であるということの本当の意味を理解してはいませんでした。それは、私の友人であり(優れた物理学者でもある)マーク・カミングズさんが教えてくれることだと思います。
科学では、XYという座標を使います。これはデカルトが作り出した座標です。この座標の中では、時間は一本の直線で表されて、小文字の「t」が用いられます。現在の科学者の多くは、これが時間だと思っていますが、これは「直線的な時間」と言うことができます。彼らは、自分たちが作り出した概念を信じて、それが本当だと思っています。また「時間の矢」という表現がありますが、科学者は時間が逆行するのかどうかということを議論をしています。時間の矢は、一方向にしか進まないのかどうか、また過去にも遡っていくのかどうかということを議論をしています。しかし彼らが前提として受け入れてしまっているものがあること、そのことに気がついていないために、先入観とか偏見を含んだ議論になってしまっています。

最近、スイスのダーボスというところで、銀行家たちのある重要な会議が開かれたという話を聞きました。それは銀行家や産業界の関係者の会議らしいのですが、彼らの議題が2つありました。そのひとつは、グローバリゼーションを今後さらに拡大するにはどうしたらいいかというものです。実際にはこれもアマゾンの先住民と関係のあるテーマですね。現在、先住民がどうやって生きているかということに関する問題です。よりよい靴を売るために、世界の市場をどう拡大するかという問題です。よりよい車、より速い飛行機の開発という退屈な話題について話し合われました。もうひとつの議題は、時間に関するものでした。銀行家たちは、時間があまりにも速く過ぎ去ってしまうと感じていたのです。彼らも時間の意味について理解する必要があると感じていたのです。そうすればストレスを減らしたり、もっとゴルフを楽しむことができるだろうと思ったのです。とにかく彼らは時間がどんどん過ぎ去ってしまうと感じていたのです。自分では管理できないほど、時間がすばやく流れてしまうと。でも銀行家にとって、時間がどんどん速く過ぎ去ってしまうとしたら、その他の人たちはどうすればいいでしょうか?
では速く過ぎ去ってしまう時間というのは、いったいどういう時間でしょうか?それは人工的な時間です。現在、時間は(セシュウムという原子によって作られた)セシュウム時計によって計られます。それはナノ秒(1秒の100万分の1)まで計れます。ナノ秒という単位より小さいものも、メガバイト、ギガバイトといわれているテクノロジーの発達によって、さらに小さい単位までも計れるようになります。こういう時間が、すばやく過ぎ去っている時間なのです。なぜそれが速く過ぎ去ってしまうかというと、だれもそれをコントロールできないからです。

二百年前のちょうどアメリカ独立革命の頃、ヨーロッパの人たちは進歩ということについて考えました。つまり、物質的進歩を可能にし、地上に楽園をもたらすためには、自然の力をどのように利用したらいいかと、当時の彼らは考えたのです。地球上にユートピアを作るわけです。しかしながら発明がどんなにたくさんなされても、ますます楽園からは離れていくように感じます。新しい新幹線や新しいガラスの塔が楽園というのであれば、そこに近づいているかもしれませんが、そうでなければ違います。銀行家たちが、自分たちからも時間が遠ざかっていると感じているとしたら、その人たちも楽園からは遠ざかっています。なぜそうなっているかというと、だれもが誤った時間の中に捕らわれているからです。
古代のギリシャの哲学の中に、ゼノンのパラドックス(逆説)という話があります。これはたとえば東京から大阪へ向かうときに、一日に残りの半分の距離だけを進むというものです。次の日、さらに残った距離の半分を進む。そうやって毎日、残った距離の半分、またその半分と進んでいきます。しかしどんなに先に進んでも、決して大阪に辿り着くことはできません。これが、私たちが人工的な時間で行なっていることなのです。そこに楽園があると思っていますけれども、そして建物を建てたりしてそこに近づいていると思っているのですが、決してそこには辿り着けないのです。どんどん速くなればなるほど、満足感は減少する一方です。

たとえば、あそこで森林が燃えているのを知っていましたか?南極だけでなく、北極からもオゾンがなくなっているのを知っていましたか?動物たちが森林の中からいなくなっているのに気づいていますか?それでも、私たちは最終地点に辿り着けないという状態です。
T(E)=ART、時間によって因数分解されるエネルギーは芸術に等しい。「時間の法則」というのは、このようにシンプルな形で表されています。「時間の法則」は「時は金なり」ではなく、「時は芸術なり」と言います。はじめに私は尺八を吹きましたが、それは「時は芸術なり」だからです。私の講義で最高なのは尺八です(笑)。私たちがテレパシー的でないのは残念です。私の尺八を聴いて、何を意味しているのかすぐに伝わればいいのですが....。(笑)色々な話をして、みなさんを退屈させてしまうこともあります。いま、なぜ尺八を吹いたか説明しようとしたのですが、そう「時は芸術なり」なのです。つまり、私たちが時間を使って何をするかというのが、私たちの人生そのものなんです。
そういったことを考えたくない人もいます。何か別にしたいことがあって、そのことをやらなければいけない、ということがあるからです。それによって、サラリーマンのままでいたり、OLを続けなければいけません。もし、何もすることがなくなったら....と心配になってしまうこともあるわけです。なぜ不安になるかというと、まず第一に時間の正体を知らないからです。私たちは時間をひどく誤解していて、時間が何なのかわからなくなって、誤った時間の概念の中に住んでいるからです。もしかしたら、私たちは何か間違ったことをしているのではないかと思うかもしれません。何か・・・違うことができるかもしれないと思うかもしれません。

話を戻しますが、そういったことがあるので、ここに改めて「時間の法則」を提示することになったのです。人類全体が誤った時間の中に位置づけられている、まさにそのときに、「時間の法則」が発見されることになったのです。ジョニー・ミッチェルの歌にもあるように「それを失うまでは、それがあったことには気づかない。パラダイスを壊してしまって、駐車場に置き忘れてしまった」と。それと同じような状況なのです。
ですから、私たちはここでもう一度「時間の法則」を通して、時間とはいったい何なのか、そして私たちは惑星地球に対して何ができるのかということを理解しなければなりません。私たちの知性を引き上げて、精神的なレベルを高めていくということです。

数年前、私は東京郊外の禅寺を尋ねたことがあります。そこで禅を極めている僧侶たちと一緒に座って、時間について話したことがあります。しばらくすると、ひとりの僧侶が時計に目をやって私にこう言うのです。「もう私には時間がありません。素晴らしいお話ですが、私はもう行かなければならないのです」と。ダライ・ラマも腕時計をしていますが、なぜ自分が腕時計をしているかその理由は知らないかもしれません。
私たち全員が、精神的なレベルを高めていかなければならないのです。それがどういう意味かを理解しなければなりません。すぐに腕時計を見てしまうことによって、私たちは自分の直観を無視してしまうことになります。

「時間の法則」は非常にシンプルですが、同時に深い意味を併せ持っています。物質的な進歩という観点からは、もう行くところまで行ったという状態になっています。現在の進歩のレベルでこのまま進んだとしたら、20年後には何も残っていないでしょう。このことをよく考える必要があります。
30年前の1970年には、まだ人口は40億人少々でした。ところがいまは60億人を越えています。人口が増えれば、それだけ多くの資源が消費されるわけです。1970年の時点で、すでに環境に対してそろそろ何かしなければいけないと人々が思い始めていました。30年経って20億人も増えて、いまだかつてなかったほどに、あらゆるものがスピードアップしています。ですから、いままさにこの瞬間が、時間について考えるときなのです。車にガソリンを入れている人にとっては、あまりにかけ離れた話題に聞こえるかもません。しかし、農場にいる人にとっては、決してかけ離れた問題ではありません。それが何なのかということをより深く理解しようと、みなさんが今日ここに集まって下さったことを、私はとてもうれしく思っています。
先ほど妻がチリで7週間に渡って行われたセミナーについて少しお話しましたが、「時間の法則」というのは非常に広大なものなので、それをカバーするためにはそれくらいの時間が必要だったのです。それをできるだけシンプルにして、できるだけわかかりやすいものにして、そして、この「時間の法則」の全体像を伝えるために、私たちは日本にいかなければいけないと思っていました。私たちは日本人と日本の文化というものが、非常に重要な役割を果たすと信じています。人類全体が自然のサイクルを取り戻して、それによって人間自体を回復する手助けをする役割という意味においてです。明治以前の中世文化から、急速に現代文化に変化した日本人ですから、そのことを「時間の法則」にあてはめると、「時間の法則」を急速に理解し、それを日本人以外の人類に伝えるということです。

「時間の法則」について語る際、私たちは次の3つの側面について語ります。
1) 時間の科学 (Science of Time) について
時間の科学には二つのレベルがあって、ひとつは周期性秩序(Cyclic Order)というものと、もうひとつは共時性秩序 (Synchronic Order)というものです。
「周期性秩序」というのは、カレンダーに関係しています。自然の周期と調和したカレンダーです。「共時性秩序」に関しては、明晩、お話しようと思いますが、三次元から四次元の時間に生きる、そこに関係しているものです。この四次元的な秩序に生きることで、より精神的なレベルを高めることができます。

「時間の法則」の2つめの側面は、「道徳の科学(Science of Morality)」というものです。
地球環境、生物圏という観点からすると、人間という存在は非常に非道徳的な存在に思えます。人間は他人の命を奪うことに、あまり問題意識を持っていなかったり、それによって他人の土地を勝手に奪ってしまったりします。かつて狩猟生活をしていた頃の人間は、一頭目の獲物を射止めずに、その生物種が絶えないように祈りを捧げてから、次の獲物を捜したといいます。ところが現在、人間は多くの生物種を日々絶滅に追いやっています。また、自然資源に関しても、見つけたところから何も気にせずに搾取しています。それによって引き起こされる生態系バランスの変化などまったくお構いなしに搾取しています。
ここには、「時間と道徳性」との相関関係があります。象は議会を持っていません。鳥も大統領選には参加しません。なぜならそこには宇宙の周期に基づいた自然なモラル(道徳)があるからです。

2) この「道徳の科学(Science of Morality)」にも、2つの側面があります。
ひとつは「時間と預言(Time and Prophecy)」というもの いつの時代にも、「そんなことをしていると、いまにこうなるよ」と忠告する使者や預言者がいます。もうひとつは「時間と生物圏(Time and Biosphere)」というものです。生物圏というのは、私たちが生きている環境そのものであり、私たちを生かしてるものであり、私たちを含む生きているもののすべてです。
私たちが「時間の法則」に対しての気づきを深め、よく知るようになればなるほど、私たちが生きている環境、生物圏に対しても意識を深めていくことができるようになります。

最初の2つは「時間の科学」と「道徳の科学」でしたが、3番目は「テレパシーの科学」です。様々な生物種がそれぞれ独自の共同体を築いています。それはテレパシー的に相互交流することができるからです。テレパシーというのは、地球と調和をとって生きることと直接結びついているものです。鳥たちは何千マイルも旅をします。ある場所から別の場所に移って、またある時期になると戻ってくる「渡り」の現象があります。イルカや鯨も、海の中で同様にコミュニケートしています。昆虫たちもそうです。彼らは、自分たちが何をしているのか、自分たちがいったいだれなのかというのを、互いに認識しながら生きているようです。つまり生命というものすべては、テレパシー的に相互交流しながら、自分たちの共同体というものを作っています。
原始的な状態では、人間もそのようなテレパシーによって共同体を作っていました。しかしその後、人間が歴史と呼ばれるプロセスに入ることで状況が一変しました。自然からどんどん離れ、テレパシーを失っていったのです。
「時間の法則」によると、私たちが自然の周期に従って生き始めれば、それに応じてテレパシーは回復されるものだといいます。携帯電話、TV、インターネットなどがあるために、テレパシーの能力が失われてしまいました。これらはテレパシーに接近してきて、現在道具として存在しているわけです。しかし、そんな道具を使わなくても、私たちはテレパシーを取り戻すことができるのです。

「時間の法則」によると、自然の周期に応じた調和のとれた生き方をすれば、テレパシーが回復され、テレパシーが回復されると、政府というものが必要なくなります。
いったいなぜ政府というものが存在しているのでしょうか? 私たち自身の間にある、大きな緩衝材みたいなものです。それによって、私たちよりもだれかがよりよく(必要なことを)知っているとかがわかります。これはとても深い問題ですが、テレパシーがあると、私たちは自分自身のことも理解し、何が必要かも直接にわかってきます。

3) この「テレパシーの科学(Science of Telepathy)」にも、2つの側面があります。
ひとつは有機的なもの(Organic Telepathy)、もうひとつは知覚的なもの(Perceptual Telepathy)です。
この「時間の法則」の発見というものは、それぞれ異なったツールを使うことによって理解を深めることができるので、ここでお伝えしたことは、決して抽象的なことではないわけです。それぞれの段階に応じたツールがあります。これから、それらを紹介していきます。
たとえば、時間の科学の中の「周期性秩序(Cyclic Order)」というものを取り上げると、<13の月の暦>というものに焦点があたることになります。

私たちがいまお話していることは理論ではないのです。ナガールジュナという偉大な哲学者が、「もし私があなたがたに与えるものが何らかの理論であるとしたら、私は失脚(disgrace)して仏教教団(サンガ)を出ていかなければならない」と言いました。つまり私たちはコミュニケートするために言葉を使わなければなりませんが、私はみなさんに理論をお伝えしようとしているわけではないのです。だからこそ、「時間の法則」を理解するためのツールを開発してきました。それは実際には物理的なツールというよりは、むしろ精神的なツールなのです。精神的な意味で本物だということを感じられるようなツールです。

繰り返しになりますが、
1) 時間の科学(Science of Time)は、周期性秩序(Cyclic Order)と共時性秩序(Synchronic Order)というものです。
2) 道徳の科学(Science of Morality)は、時間と預言(Time and Prophecy)というものと時間と生物圏(Time and Biosphere)というものです。
3) テレパシーの科学(Science of Telepathy)という3番目のものは、有機的なもの(Organic Telepathy)と知覚的なもの(Perceptual Telepathy)というものです。有機的なものというのは、生物学的なレベルに対応したもので、一方、知覚的なものというのは、我々の精神的あるいは心的レベルでの知覚に関係したものです。
以上が6つのテーマになりますが、もうひとつ「プラスワン」の要素があります。なぜならセミナーは7日間あるからです。プラスワンは「虹の橋に関する地球の魔法使いの術」です。

これまでみなさんは、カレンダーやダイアリーといったものしか知らなかったかもしれませんが、私たちがここで「時間の法則」の話をしているのは、それ以上のものがあるということをお知らせしたいからです。もっと現実的なプロジェクトが存在するということを、併せて知ってもらえればと思っています。ちょうど、アインシュタインのE=MCの2乗が原子爆弾の開発に貢献したように、T(E)=ARTという「時間の法則」の公式を「虹の橋」に応用するということです。

みなさんにとっては空想的なものに思えるかもしれませんが、世界中にこれを広めるということは、とても重要なことだと考えています。それがまさにこの「虹の橋」なのです。私はいま現実の「虹の橋」について話しているのです。
これまでの地球の様々な文化、民族の中で、「虹の橋」について語られているものがあります。ネイティブアメリカンは、実際に「虹の橋」のビジョンというものを持っていて、時が成就するときに正義の心を持った人たちが「虹の橋」を渡ることができるといいます。

私たちが2度目か3度目に来日した、確か1996年のことだったと思いますが、そのときに「倫理プロジェクト」を始めました。これはテレパシーを使った4年に渡る実験です。その実験がこの夏に完了します。柳瀬さんが好きな「時間をはずした日」に完了するのです。古いカレンダーでいうと7月25日です。
私たちはチリで140人以上の人と7週間過ごしたのですが、この実験の本質について彼らがきちんと理解してくれるように念を押しました。
この「虹の橋」というのは、地球の北極と南極を結びつけるものです。そこにテレパシーや、また同時に太陽レベルの活動も組み合わさっています。そしてまた、地球上の電磁場の活動にも関係があります。このセミナーでは、このように実際的な形でお話をしていければと思っています。ですから、このプラスワンというのは、さらに何人かの「地球の魔法使い」を増やすということです。
「地球の魔法使い」というのは、自然との調和を取った生き方を選択する人のことを指していますが、それだけでなく、同時に「時間の法則」の知識を備えている人のことを指しています。
以上が7日間に及ぶセッションの概要になります。

「時間の法則」に関して論理的かつ体系的な形でもう少しお話しておきましょう。
「時間の法則」とはいったい何でしょうか? ある聖なる本では「人間存在というのは急ぐ生き物である」と書かれています。ですからこのセミナーでも7週間を7日間に圧縮しなければなりません。これでもまだ時間が長過ぎると言う人もいるかもしれません(笑)。しかし、ひとつひとつのテーマに関して、充分にきちんと理解できるように、できるだけ論理的な形でお話していきたいと思います。これは新しいワインですから古い革袋は役にたちません。私の話をこれまでの知識や常識から判断しないようにして下さい。たとえば、みなさんがコップをひとつしか持っていないとしたら、それが空になっているか、そしてそれが清潔かどうかを確認して下さい。何かをコップに注いでも、味が変わらないようにです。言い換えれば、ちょうど子供のようになることです。冒頭で妻も話しましたが、時間のないところに自分自身を位置づけるということです。

時間の逆説とは「時間の中心には時間がない」ということです。すると、私たちは完全に現在にいるということになります。現在にいるということは時間のないところにいるということなのです。
何年も会っていない古い友達に会うと、時間の経過がまったく感じられないようなことがあります。それが無時間の瞬間、つまりあなたのカップが空になっている瞬間なのです。そのようなとき、みなさんのカップに何かを注ぎこむことができるかもしれません。
私たちが現時点で日本にいるということは、7年間のプロセスを終了する過程にいるということです。
私たちが最初に「時間の法則」を発見したのが1989年でした。そのとき、私たちは計時周波数というものを発見しました。言い換えれば、時間というものは心のレベルにおける一種の周波数だということを発見したのです。人工的な時間というものは、加速していく周波数だということにも気がつきました。その人工的な周波数を、私たちは数学的に「12:60の計時周波数」と呼んでいます。それは12ヶ月の不規則な尺度に基づいていて、1時間60分という機械的な時計と組み合わされています。私たちはこの周波数に対して無意識です。しかしその人工的な周波数によって私たちは動かされ続けています。ですから、その事実に意識的になることが第一のステップです。

私たちはこれまでマヤの暦を研究し、またマヤの暦の周期に従って生きてきました。だからこそ、自然時間の計時周波数が13:20だということがわかったのです。2つの異なった計時周波数を区別するやいなや、二人がわかったこと、それはまずはカレンダーを替えなければならないということです。現代世界に生きる私たちが従っているカレンダーはグレゴリオ暦というものです。そのグレゴリオ暦に従って生きてきた人類は、カレンダーそのものに閉じ込められてしまって、人類自身を破壊するようになってしまいました。
私たちは、グレゴリオ暦に代わる正しいカレンダーは28日が13ヶ月ある<13の月の暦>だとわかりました。この発見は1989年後半だったのですが、そのときの私たちは自分たちがどういう状況に入り込んだのか、まったくわかりませんでした。これはとても単純明解、かつ論理的なことなのですが、グレゴリオ暦を基にした時間の性質が、先ほど述べたようなものなので、グレゴリオ暦で計られる時間こそが唯一の時間だと信じて疑おうともしないわけです。つまり、それ以外の枠組みについては、まったく想像も及ばないのです。

ある科学報告書に「ジュラ紀の紀元前1億6千万年前の4月6日に」というような表現を見つけたことがありました(笑)。まるで恐竜がグレゴリオ暦に従って生きていたかのように聞こえます。まさか恐竜がグレゴリオ暦を使っていたとは思えません。これは、無意識のうちに私たちは心の枠組みとしてグレゴリオ暦を持ってしまい、それを様々なものに投影しているというほんの一例です。
私たちがこの発見をしてから、次第にしかし急速に学んだことがあります。それは、改暦について話すこと自体が大きな挑戦だということでした。たとえば、足のサイズが10インチの人が「あなたの足は8インチだから8インチの靴を履きなさい」と言われ、それに従ったとしたら、やがて足の方が変形してしまいます。でも変形した後では「10インチの方がピッタリだよ」と言われても、「そんなことはない、私は8インチでちょうどいいんだ」と答えるのです。

これとまったく同じように、グレゴリオ暦は私たち人間の思考や心に影響を及ぼしているのです。
時として人間は自然の美に対して刺激的なものや暴力的なものを好むことがあります。4本足のプードルよりも、ピンク色の3本足のプードルを好むというようなことがあるわけです。このようなことは世界中で見ることができます。なぜなら、宣伝広告などが常に目新しいものを探しているからです。
私たちは、人間の心が調和を拒否するようになったのは、グレゴリオ暦と機械時計の組合せによってだけでなく、すべての状況には政治的な側面も深く関わっていることに気づきました。私たちが各地でグレゴリオ暦や<13の月の暦>についての講演をしても、そのままグレゴリオ暦を使いたいという人たちもいます。そういうときに、私は「なぜバチカンの時間で生き続けているのですか?」と聞くのです。おそらくここに集まっているみなさんのほとんどはカトリック教徒ではないと思います。にも関わらずカトリック教のカレンダーを使っているわけです。銀河の人類学者の視点からすると、人々がそういう状況に生きているというのは驚くべき矛盾として映ります。科学者というのは神を信じない種族だと言われていますが、彼らも当然のようにカトリックのカレンダーを使っています。そんな科学者を信頼するわけにはいきません。彼らはまずは自分たちの頭を研究対象にすべきではないでしょうか。また自分たちの信念の非論理性についても、調べてみる必要があるかもしれません。

1993年のことですが、私たちの改暦という問題に関して劇的な変化がありました。詳しくは「時間と預言」についての講義の際にまたお話しますが、私たちが改暦の必要性について訴え続けてきたことによって「13の月の暦に替える平和の運動」というものが生じたことです。つまりこの問題が地球上の多くの人々の関心を引きつけたのです。そして私たちは改暦を進める運動をしなければならないと思いました。
これを私たちは「平和のための運動」と呼んでいます。なぜなら、いま人間は平和の状態にないからです。人間は自然と戦っています。また人間同士も戦っています。自分自身にも戦いを挑んでいます。世界全体には調和がほとんどみられません。人間は生物圏を破壊する方向でなく、自然周期に基づいて生きるという方向に進むこともできるのです。しかし人工的な時間の中に生き続ける限りは、生物圏を破壊し続けざるを得ないでしょう。平和を取り戻すためには、人間の意識を自然と調和のとれた方向に向かわせる必要があります。自然周期に応じた調和のとれたカレンダーを使うことが、自然周期に戻るという単純な鍵となります。

1993年の時点で、私たちはその平和運動を作り出すのに7年かかると思いました。こちらにその絵があります。

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Copyright (c) 2000 by Jose & Lloydine Arguelles

簡単な絵ですが、この逆三角形のピラミッドのような形をしたものが、7年間の平和のプロセスを表しています。時間においては、最初は点のようなところから始まりました。少しずつ成長して、2000年の「時間を外した日」に辿り着くと、「時間の法則」の土台部分ができあがります。絵の上半分は非常に面白い部分なのですが、これは13年間に渡る地球の再構築の期間になります。「時間の法則」という土台を使って、「虹の橋」の実験が行なわれ、それによって人間の意識が変化し、地球と社会を回復するような方向に向かいます。そして最終的に、13年後の2013年に辿り着くことになります。これは太陽の進化のときであり、またそれは「銀河の同期のポイント」とも呼ばれます。このプロセスは、私たちの恒星である太陽の段階的進化と呼応しています。
時間が発生しているということ自体が非常に興味深いことなのですが、1991年から私たちは、2013年のこの日に注目していました。そして2013年が人間の進化にとっての鍵となる時点だということを話していました。明日以降にお話する内容は、「時間の法則」に基づいて私たちは何をしていったらいいのかということと関係があります。

2000年以降の話ですが、アメリカでは、国務省(ペンタゴン)、そう、あの五角形をした大きなビルですが、その国務省が再編成の時期を迎えているそうです。その再編成計画は1993年から始まって、その最終の第五段階が2013年だそうです。この計画は発表後、アメリカ国内では非常に大きくとり上げられました。クリントン大統領が連邦演説を行なったとき、大統領の背後には大きな幕が掲げられていたのですが、そこには「2013年には負債はなくなる」とありました。なぜ2013年という最終的な時期が選ばれたのか興味深いものがありますね。単なる偶然の一致なのか、私たちが行なっていることが正しいということの証しなのか、それはわかりませんが....。

カレンダーを替えるということについてお話してきましたが、これは実際には非常に大きな問題です。いまとなっては、それほど驚くことでもないのですが、この問題に人々の関心を集めるのは、当時の私たちにとってそれは非常に難しいものでした。
私たちは「13の月の暦に替える平和の計画」というものも作り、国連やユネスコといったところにも送りました。バチカンにも10日ほど滞在して、最後には聴衆を集めてセミナーも行ないました。国連にも継続的にメッセージを伝えています。
昨年の夏にはコスタリカの平和大学で、改暦宣言を掲げた「平和と時間に関するサミット」を行ないました。それは国連事務総長にも届けられました。事務総長からは前向きな回答も受け取りました。公式的な改暦が行なわれようと行なわれまいと、大切なのは人間が改暦の要点をきちんと理解しているかどうかということなのです。そのことを理解している人は、惑星地球上ではまだ非常に少ないかもしれませんが、これからの13年間で、さらにこの運動を進めることによって、正しい共同体を形成することができます。つまり、地球と調和して生きることの重要性を理解している惑星共同体です。

「時間の法則」は、現在では非常に大きな知識体系となっています。新しい共同体は、この知識を使って地球の回復をするという方向を目指すことができます。新しい知識を理解するのは容易なことではありません。それは伝統的、慣習的なものと戦わなければならないからです。また新しい知識は、人々を分割してしまうことも考えられます。愛と善意でそれを受け入れたとしても、ある人は恐れを抱いたり、またある人は私利私欲のためにそれを使ったりしようとします。知識そのものを純粋に受けとめ、理解するということは容易なことではないのです。ここにいらっしゃるみなさんが、7日間にわたる全プログラムに参加したとして、これが何なのか、そのごく一部でも受けとめて、私たちが銀河の夢時間(ドリームタイム)へと戻った後も、継続して学ぶことができれば、真の調和の振動を発する人間の原子となって、多くの人々に影響を与えるようになると思います。
みなさんにお会いできたことを、私は誇りに思っています。グレゴリオ暦に染まった東京に暮らしていると、7日間に渡ってこのような話題のために時間をつくることはとても大変なこと、とても勇気の要ることだと思います。ですから、私たちはみなさんを誇りに思うのです。

もう一度、本題に戻りますが、まず第一に理解しなければいけないことは、グレゴリオ暦を使って生きてきたことによって、どれほど私たちの時間が歪んでしまったかということです。矢のように一方向にだけ進む時間(arrow of time)などというものはありません。また、機械時計やデジタル時計は何かを計測しているものではないのです。
たとえば、グレゴリオ暦という物差しを使って家を建てたとしたら、床は凸凹になったり、階段が変なところにいったりして、まともな家は建ちません。それはなぜかというと、物差しが一定ではないからです。たとえば、物差しのある部分の1センチはこのくらいの長さで、別の部分の1センチはまた違った長さをしている、そんな物差しを使うでしょうか? そんなものがいったい何の役にたつでしょう?これはひとつの比喩ですが、グレゴリオ暦は実際にそういうものなのです。
このような尺度というものは、無意識に私たちの心に深い影響を与えます。なぜ<13の月の暦>に向かう必要があるのかということをきちんと理解するためには、まず暦の本質とは何なのか、また現在使われている間違った暦を使うことがどういうことなのかを、しっかりと理解しなければなりません。
ほとんどの人は太陰暦については知っています。日本でいうと聖徳太子の時代から明治天皇の時代まで、日本人が知っていた唯一の暦は太陰暦でした。中国人や日本人、朝鮮人が使っていた太陰暦は、インド人やユダヤ人、イスラム人にも使われていました。様々な暦がありますが、それらはすべてひとつの太陰暦です。空にはいったいいくつ月がありますか?本質的にそれらは同じひとつの太陰暦なのです。
中国人は、自分たちの使っている太陰暦が4697年前に始まったといいます。アラブ人は、1420年前に自分たちのカレンダーが始まったといいます。また、ユダヤ人は五千年以上前から自分たちの暦を使っているといいます。これらは大した違いではありません。なぜなら、空には月はひとつしかないのですから....。
たとえば、アラブ人がモハダム(ムハッラム)と呼ぶものを、ユダヤ人がティシャレブ(ティシュリ)と呼ぶように、毎月の月名には、各国で違った呼び名がついています。でも月はそんなことは気にしません。同じひとつの月なのです。太陰暦はそれでいいのです。月の満ち欠けで種蒔きの時期を計ったりするので、太陰暦自体は価値を持っています。ではそんな太陰暦を差しおいてまで、私たちがグレゴリオ暦を使っているのはどうしてなのでしょうか?

太陰暦は月の会合周期(朔望周期)を計っています。それは新月から次の新月までの期間で、29.5日という周期を持っています。また太陰年というものがありますが、これは月の満ち欠け12回分の期間で、354日に相当します。これは太陽年の365日とは異なっています。地球全体、また地球の歴史、とりわけ人類の歴史全体を振り返ってみたときに、とても興味深い事実があります。それは旧世界と呼ばれるアジアとヨーロッパなどは、400年ほど前まで太陰暦を使っていました。しかしひとつだけ例外があります。それがグレゴリオ暦なのです。グレゴリオ暦は太陰暦ではありません。

面白いことに、中国人や日本人は一度も太陽暦を使ったことはありませんでした。
太陽暦というのは1年365日で計られる暦のことです。太陽年というのは、地球が太陽のまわりを一周するのにかかる期間のことです。興味深いことに、アジア人たちは太陰暦は採用したものの、太陽暦は採用しなかったのです。それによって、ヨーロッパと中国では異なった文明が発達したのではないかと私は考えています。明治天皇がグレゴリオ暦を採用して、文明が急速に変化したのです。グレゴリオ暦は偽りの太陽暦なのです。それは、あたかも太陽年を計っているように見せかけているカレンダーです。また閏年というとても賢明かつ悪魔的なシステムを採用していて、その結果、唯一正しい周期を持っていた2月を、四年ごとに28日ではなく29日にしています。

グレゴリオ暦を制定したグレゴリウス13世が、1572年に即位して改暦するまで10年かかりました。面白いことに、カソリックのディエゴ・デ・ランダ司教が『ユカタン事物記』という本を同年に出版しています。これがマヤ暦について書かれた最初の書物です。ランダ司教はマヤの書庫や書物を破壊してしまった張本人です。ランダ司教がマヤの書庫を破壊したのは、それより10年前の1562年のことでした。書庫の破壊を完了したのが1562年で、その後、ヨーロッパに帰還しました。ランダ司教は、そこで見たことや発見したもの、また行なったことについて尋ねられました。そして1572年に『ユカタン事物記』が出版されたというわけです。ランダ司教は再びマヤに戻り、破壊した地に彼の名前がつけられました。

そのとき同時にグレゴリウス13世が選ばれて、彼が行なった最大の仕事がユリウス暦の改暦だったのです。彼は天文学者や数学者を召集して、ユリウス暦を改良しなければならないと言いました。その結果、閏年というシステムができ上がったのです。そして10年後の1582年に改暦の準備が整いました。その年の10月5日の夜、眠りについて、翌朝、目が覚めてみると10月16日になっていたということになります。これがグレゴリオ暦への改暦ですが、これはユリウス暦を踏襲したものでした。

ユリウス暦は、その名の通り「ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)」から取ったものです。それが後にカトリック教会に採用されました。ユリウス暦は元々バビロニアの暦から生じたものなのです。大昔にはエジプトとバビロニアでは太陽暦が使われていました。しかしキリストの時代になって、エジプト文明は崩壊したり忘れ去られたりしたため、ジュリアス・シーザーがもう一度カレンダーをまとめあげて最終的にユリウス暦になったのです。

グレゴリオ暦が偽りの太陽暦だという理由は、365日という日数こそ太陽年の尺度になっていますが、毎月の日数は実際の自然周期とは何の関係もないからです。またもう一点、毎月の名前にもまったく意味がありません。たとえば、1月(January)はローマ神話の門の神様の名前です。それでグレゴリウス法王は、新年はその神様のところから始めなければいけないと言いました。ユリウス暦では、いまでいう4月が新年になっていました。日本でどれほど「エイプリル・フール」が知られているかわかりませんが、エイプリル・フールの始まりは、グレゴリオ暦への改暦後、1月1日が新年と制定されたにも関わらず、まだ4月1日を新年だと信じている人のことを「エイプリル・フール」と呼ぶようになったことです。これが無意味なコンセプトの意味なのです。
たとえば4月(April)と5月(May)は、少し変わった神様の名前に由来しています。3月(March)は、惑星の火星と戦争の神様(Mars)から取られています。7月(July)と8月(August)はジュリアス・シーザーとアウグストゥスの二人からつけられています。9月(September)から12月(December)までの最後の4ヶ月には不適切な名前がつけられています。9月は7番目の月という意味であり、同様に10月は8番目の月、11月は9番目の月、12月は10番目の月という名前がつけられています。このようなことを考え併せてみると、グレゴリオ暦には何の論理性もなく、不規則で頭を混乱させるだけのものだということがわかります。ここで少々伸びでもしてリラックスしてましょう。

さて、そろそろ締めくくらなければならない時間ですね。
私の大好きなテーマは「時間を外した時間(Out of Time)」なのです。いま私は時間の外に生きています。時間の外にいると、多くの情報を受けとることができます。しかし時間の中にいると、時間についての情報を受け取るのに十分な時間がなくなってしまうのです。今日はウォーミング・アップに過ぎません。
先ほど、少し歴史的なことをお話しました。そして「時間の法則」の知識についてもお話しました。これでグレゴリオ暦と、調和の取れた暦の違いについて理解していただけのではないかと思います。

みなさんの中で<13の月の暦>のカレンダーを使ってない方はいらっしゃいますか?もう使っていらっしゃるのでしたら、それに関してあまり細かく話す必要はありませんね。このカレンダーがどれほど普遍的なものかということについては、他にも様々な詳細がありますが、まずドルイドの<13の月の暦>、南アメリカの「パチャクティ」と呼ばれる<13の月の暦>、エジプトの「ソティス暦」と呼ばれる<13の月の暦>、そして死海文書も<13の月の暦>に基づいているものでした。イエス・キリストもおそらく<13の月の暦>を使っていたと思われます。また150年前から現在にいたるまでの改暦は、常に<13の月の暦>に関連したものでした。

以上が今日の講義の補足ですが、詳細について話すときりがありません。今日はとても楽しい時間を過ごすことができました。話すべきことをすべて話して、ちょうど時間がきました。これはいい兆候です。もうよくなるしかないのですから。いいウォーミングアップになりました。明日はもっと暖かくなるでしょう。そして7日目になる頃には暑くて暑くてたまらなくなりますよ。
今日はこれ以上お話はしませんが、まとめますと、今日は太陽暦と太陰暦の両方について話しました。太陽と月の両方とバランスを取る必要があるということです。<13の月の暦>は、正確には「太陽太陰暦」と呼べるものです。なぜなら<13の月の暦>には、太陽年の尺度が取り入れられていることと、その一単位(毎月)が28日になっているからです。これは女性の生理周期とも関係があって、月の朔望周期と公転周期の平均ともほぼ一致します。

太陽と月というのは、たとえば男性と女性や、私たちの右脳と左脳、また身体の右半分と左半分と同じようなものです。<13の月の暦>を使うことで、私たちは自分自身の中にある男性的なものと女性的なもの、身体の右側と左側など、それぞれのバランスを取ります。

私はみなさんに何かを説き伏せようとしているわけではありません。そうしない方が私も楽しいですし....。すでにある程度みなさんが知っていることをお話した理由は、大きな文脈の中で「時間の法則」というものを提示したかっかたからです。

できれば明日は7時ちょうどに始めたいと思います。明日のテーマの「共時性秩序」もとても面白いですよ。明日の夜まで、もう一昼夜、自分自身を循環させて、準備を整えて下さい。今日はお話ができて本当によかったです。そしてみなさんに会えてよかったです。ありがとうございました。

講演者:ホゼ&ロイディーン・アグエイアス
通訳:高橋 徹、滝元 隆伸
監訳:滝元 隆伸
編集・文責:7Days Seminar 実行委員会

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