ゾクチェン

絶対なるものはすでにそれ自体で完全である:非概念的なもの

覚醒の境地のカッコウ第三部、「金剛の六行詩」として知られる、悟りに至るための装飾品
(敦煌洞窟文書注釈文の翻訳)

ゾクチェンと、悟りの瞑想の自己再生的な宇宙論。
スワスティ!最も聖なるものよ!大いなる歓喜の金剛である慈悲深い主の身体・言葉・心に礼拝します!

通常、「心(マインド)」と呼ばれるそれは広く認識され、議論の対象となっているが、それは未だに理解されておらず、あるいは誤って理解されるか、一面的にしか理解されていない。
あるがままの心が理解されていないがために、
これまで途方もない数の哲学的思想や主張が出現した。
また、心を理解することのできない凡夫は、自己の本性を認知できない。

—パドマ・サンバヴァ「あるがままの意識で観ることによる自己解脱、第五節」(Self-Liberation through Seeing with Naked Awarenss, sec.5)より

ゾクチェン、またはマハ—・アティとは「大いなる完成」を意味する。この教えを初めて地球にもたらしたのはウディヤーナのプラモダヴァジュラ(665〜730)である。ナムカイ・ノルブ(『虹と水晶』))によれば、地球はこの教えを受ける十三番目の惑星となる。幼少時はアカサヴァジュラ(宇宙から落下した稲妻)と呼ばれていたプラモダヴァジュラは、わずか7歳にしてウディヤーナの賢者らの元を訪れた。プラモダヴァジュラの知恵に感銘を受けた賢者らは、すぐさま彼が優れたマスターでありアヴァター(選ばれた神の化身)であることを認め、彼をプラジュナバーヴァ(比類なき叡智の源泉)と名付けた。プラジュナバーヴァは仏教の僧職を授与された後にプラモダヴァジュラ、あるいはチベット語でガラップ・ドルジェ(天の摂政)として知られるようになった。ここでは、パカル・ヴォタンが62歳の時にプラモダヴァジュラが誕生している点、また、偉大なるパカルの他界時(683年に)に彼が18歳だった点に注目したい。

32歳の時(697年)、プラモダヴァジュラは神聖なる存在(不滅の金剛王ヴァジュラサットヴァー)と対峙して完全な悟りを得て、ゾクチェンの教えの全叡智を表すサンスクリット語の詩篇6,400,000行が心に入った。(注:この数字は64、すなわち生命コードのフラクタルである)。プラモダヴァジュラが目新しい異端の教え—全てのものが原初から純粋であり、よって心と現象、生物と創造主は常に一体であるとする、因果を否定する教義−を説いていることが広まると、彼は暗殺の危機にさらされた。プラモダヴァジュラは僧服を捨ててヨガ行者の白い衣服を身にまとってウディヤーナの南にあるインドを放浪した末、マラヤ山で3人の悟りをもたらす女性(ダーキニー)に助けられてゾクチェンの全教義を書き写した。これらの文書は「ダーキニーの顕現の源」と呼ばれる洞窟に保管された。

その後、プラモダヴァジュラは、謎に包まれた配偶者のスリヤキラーナ婦人に伴われて、仏陀が悟りを開いた地ブッダガヤーに出立した。ブッダガヤーに到着した二人は「涼しい木立」と呼ばれる火葬地に定住し、ここでプラモダヴァジュラは生涯を通して教えを広めた。後にゾクチェンの教えの後継者となる高弟マンジュシュリーミトラと彼が出会ったのもこの地においてである。プラモダヴァジュラは死の前に、ゾクチェンの本質を表す短い三行詩を最後の教えとしてマンジュシュリーミトラに伝授した。

本来備わっている意識を指し示す三つの言葉

1. 自己の本性への直接的な導き
2. この特殊な境地の直接的識別
3. 解脱の確信を伴った直接的継続

全般的な説明をすると、最初の言葉は、心の本性に至るためには優れた師またはグルの導きが必要であり、そのような優れた師なしでは、掌握不可能で既に悟りに達している己の心の本性を見ることができない、という意味だ。二つめの言葉は、「心」を内なる意識として捉える訓練をし、これを応用して日常生活を心の本性と同様のものとして体験する、というものだ。三つ目の言葉は、解脱がエゴではなく恩寵によってもたらされることを知りつつ、努力なしに訓練を継続することを意味する。

この教えはシュリー・シンハを通してパドマサンバヴァに授けられたものである。チベットに至るまで長く冒険に満ちた生涯を送ったパドマサンバヴァは、ゾクチェンを含む全ての教えを、彼の配偶者であり精神的後継者であるカーチェンの姫、イェシェ・ツォギャルに授けた。このイェシェ・ツォギャルこそがゾクチェンの教えを広め、また、秘密の教え(テルマ)をチベットを始めとする世界中の地に隠した人物だとされている。パドマサンバヴァは108人の傑出した弟子の「精神の連続体」に、全ての秘蔵文書を理解するための神秘の鍵を埋蔵したと言われ、これらの文書を発見する者らは「テルトン」と呼ばれる。

パドマサンバヴァが説いたゾクチェンの教えの本質は28節から成るテルマ、「Self-Liberation Through Naked Awareness(あるがままの意識で観ることによる自己解脱)」にあるが、その10行目から4節目の間に次のような記述がある:「しかし、真の意味においては、汝は3つの言葉によって自身に本来備わっている意識に至ることができるだろう」。この言葉についてパドマサンバヴァの文書ではこれ以上明記されていないが、これこそが前述したプラモダヴァジュラの3つの言葉である。

ここでは、チベットのヴァジュラヤーナの伝統において、ゾクチェン(大いなる完成、マハー・アティ)とは仏教で九番目の最高次の「乗り物」である、とされていると言うに留めておこう。ゾクチェンの教えは、近年のナムカイ・ノルブ、トゥルク・ソンダップ・リンポチェやギャトル・リンポチェのようなラマ僧らの普及活動のおかげで大いに繁栄し、今日では大手のニューエイジ書店でゾクチェン専門のコーナーが設けられているほどだ。

私達にとってゾクチェンの考え方は、対象を必要としない禅式の座って行う瞑想の効果を高めてくれる。このような瞑想法は心が長時間、何の概念も浮かばない境地、つまりサマディに入ることを目的としているが、一方で、ゾクチェンは「絶対的なものはすでにそれ自体で完全である」と説いている。本来備わっている意識の本性は悟りであり、心の本性は本来備わっている意識なのである。ゾクチェンはいくつかの点においては禅の教えと変わらないが、禅は実践の形式に重きを置くのに対し、ゾクチェンは実践を行うこと自体が悟った見方であるとし、する。いずれも相伴うものである。

しかし、私達はこれらの教えを仏教の瞑想堂や禅の僧院に関連付けて紹介しているわけではなく、「周期の終わり」と「普遍的な回想の到来」に関連付けて紹介している。伝統的な仏教の教えは、ゾクチェンでさえも、世界やカルマの流れを変える必要性について説いていない。このような見方は絶対的な意味においては真理かもしれないが、同時に、世界に対する無関心またはシニカルな見方につながる可能性も含んでいる。

私達は、時間の法則のコードを使って進行中の世界の変容に関わり、同時に、自らの心の持つ影響力を理解する人間を育成しようとしている。事実、今の世界は画期的に変化しつつある。進化のプロセスが起きており、地表はすでに温暖化によって変化しつつある。私達は、来るべき変化に備えなければならない。仏陀やプラモダヴァジュラの教えは普遍的で特定の伝統の枠組内に収まらないため、周期の終わりである今、普遍的なものにすべきなのである。私達は今日までこれらの教えを純粋な状態で保持してくれた伝統に感謝しよう。しかし、今後、人類は普遍的な回想の時期に入りつつあり、新たな進化した人間が出現しようとしている。この新しく進化した人間は仏僧やイスラム教の神秘主義者やハレ・クリシュナになる必要はない。これら全てありながらそのどれでもない、普遍的でヌースフィア的なチップとなるのだ。

このような意味で、私達は伝統を通して受け継がれてきた中でも最高次で良質の教えを、その最も純粋な形で、しかし伝統という枠組みから解放した状態で提供したいと思う。そうすればより多くの人間が教えにアクセスし、すみやかに進化の階段を登ることができるだろう。周期の終わりとは悟りの時であり、来たる2012年を念頭において考えると、ゾクチェンを悟りの瞑想の自己再生的な宇宙論として体験すると、非常に役に立つかもしれない・・・世界と自己の変容を目的としたヨガ的鍛錬を追求したい人々にとっては特にそうだ。

よって、ここで中国西部の敦煌洞窟で発見された六行詩(これは間違いなく初期のゾクチェンのテキストである)に対する注釈を提供したい。翻訳及び前述した内容の多くはラマ・クンサン・パルデン・リンポチェの仕事を土台にしたものである。

まず、以下が「悟りに至るための装飾品、覚醒の境地のカッコウの金剛六行詩」である。

1.世界の多様性はその本性において二元性を越えたものである。何故なら、

2.個体性は理解不能である。つまり、現象は規約不可能であり、それについて言及することは究極的に不可能である。

3.如実なるもの(あるがまま)は思考不可能である。何故なら

4.創造物はその全体性において絶対的な善である。

5.努力という病を放棄したのちには

6.ただ無努力のままにとどまること。

これら六項目について延々と詳述することもできるが、それよりも、この言葉を瞑想の対象として捉えた方がはるかに好ましい。上記のテキストが伝えんとしている内容は、多様な現象はそれを認識する心と分離不可能であるために、二元性は存在しない、ということである。全ての現象の根底には一体性がある。認識する者と、認識する者の心は分離不可能であり、また、認識する者は、現象の根っこ、もしくは基盤と一体である。現象について何を言ってもそれは理解不可能である、何故なら石は石と呼ばれるが、石自体は名前を持たないからである。名前とは単に心の気晴らしである。同時に、存在する全体性、つまり目に見える現象世界は、絶対的に善である。それは悪にあらず、誰かを傷つけたり殺したりしようと襲いかかってくるわけではなく、常に変化し続ける根本的な善として活発に顕現しつつある、そこにはエゴも自己も存在しないので、あなたが自身のエゴを通して努力しても意味がない。だからエゴを使った努力をやめ、あなた自身と心の本性、すなわち無努力の状態にとどまりなさい。そうすればあなたは洞察を得て、天の恩寵が無上の喜びの波と共に、次なるメッセージや道を示してくれるだろう。

ここで大事なのは、究極的相対性かもしれないものを従順に受け入れるのではなく、絶対なるものに回帰することである。二元性を超えたものは絶対的である。そして、一元的あるいは一神論的な世界観は絶対的である。魂の進化は絶対的であり、物質の変容も絶対的である。私達は、心の本性を、不変の覚醒意識の絶対的真理として捉え、その絶対性を体現化して新たなリアリティの旗手とならなければならない。そのリアリティとは、今の世界秩序を贖い、第二の創造の啓示に沿うリアリティである。この新たな創造において私達は自己の心の本性を本来備わっている意識として捉えるようになるが、この時、真の自己を知れば知るほど自己と世界の創造的変容を体験することができるだろう。私達はこの変容において、「進化して超越せよ」という神聖なる指令の実際の代行者もしくは体現者であり、そうしながら周囲の環境を新たに作り変えて行くであろう。

「如実なるもの(あるがまま)は思考不可能である」という敦煌文書の第三項目の注釈において、私達は絶対なるものの体現化を助けるために、ここで「すでに完全な絶対なるもの」の20の分類リストをあげる。私達はここに、絶対なるものの「すでにそこにある状態」を時間の法則に基づいて提供し、0−19のコードもしくは20の太陽の紋章を使用して、これを「悟りの瞑想の自己再生的な宇宙論」として紹介し、これら悟りの教えに対する新たな見方を紹介しようと思う。「絶対なるもの」を「すでに完全なもの」として見ることができれば、「第二の創造」におけるすでにそこにある完全性へと、我々の認識を転換することができるだろう。

悟りの瞑想の自己再生的な宇宙論

すでにそれ自体で完全な絶対なるものの20の分類

1. 竜 :有情の者への慈悲は「原初からすでに実行されていた」。竜は、あらゆる者に対する慈悲の心を育む。

2. 風:マンダラは「原初からすでに広げられていた」。風は、霊を伝える。霊の本質は原初の宇宙秩序のマンダラである。

3. 夜:供物(プジャ)は「原初からすでに捧げられていた」。夜は、神への無限の供物としての豊かさを夢見る。

4. 種:スピリチュアルな行為は「原初からすでに行われていた」。種は、スピリチュアルな行為の基盤として本来備わっている意識の開花を目指す。

5. 蛇:ゾクチェンの視点は「すでに実現されている」。蛇は、宇宙の生命力の視点を原初の心が自ら実現した本能として顕現する。

6. 世界の橋渡し:瞑想は「すでに創られている」。世界の橋渡しは、自己と他者の認識を等しくし、創られる必然性のない瞑想へと導く。

7. 手:契約は「すでに守られている」手は、世界の魂を癒すための全知識を一つに結ぶ自己存在の契約を遂行する。

8. 星:スピリチュアルな実践(サーダナ)は「すでに達成されている」。星は、スピリチュアルな実践を悟りの優美さとして美しくする。

9. 月:到達(シッディ)は「すでに獲得されている」。月は、全てのシッディの普遍的な水を清め、それを全ての心の流れに置く。

10. 犬:功績の二重の集積は「すでに完成している」。犬は、自己と他者のために集積された功績である愛を普遍的に分かち合う。

11. 猿:到達(シッディ)は「すでに与えられている」。猿の魔術は、必要な時はいつでも低次の幻想を飛散させる全シッディとしてあなたの内に存在する。

12. 人:あなたは最も高い段階(ブミ)に「すでに上昇している」。最も高い段階へと上昇した人は、自由意志という階段の上から叡智を公平に分け与える。

13. 空歩く者:力の付与(アビシェカ)は「すでに受容されている」。不変の用心深さを付与された空歩く者は、空間を探る。

14. 魔法使い:不明瞭なものは「すでに明確化されている」。永遠性に魅惑された魔法使いは、いかなる影響を受けても明確さを失うことはない。

15. 鷲:マハムードラ(大いなるシンボル)の瞑想は「すでに達成されている」。鷲は、あらゆる現象を悟りの兆候として捉える。

16. 戦士:マントラは「すでに唱えられている」。戦士の知性は、彼自身を通して唱えられる神聖な音節の中に存在する。

17.地球:一致の実践は「すでに行われている」。常に進化する時間と意識の不可分性としての地球は、知る者と知られるもののシンクロニシティ(一致の実践)である。
17. 鏡:混乱は「すでに克服された」。鏡は、歪みや混乱なしにリアリティを完璧に映し出す。

18. 嵐:成功の兆候は「すでに出現している」。嵐の触発のエネルギーは、雨を必要とする野の成功を表す。

19. 太陽:瞑想の熱は「すでに放射されている」。太陽は、自己発生的な瞑想の普遍的な炎として生命を照らす。

20の太陽の紋章は、260日周期ごとに永遠に13回繰り返し続ける。従って、毎日これを実践することは、悟りの瞑想の自己再生的な宇宙論への参加を意味する。この実践はすでに完成されているが、あなたが実践をしなければそれを知ることはないだろう。

前述したテキストは周期の終わりにおいて全ての人の役に立つべく提供されたものである。それは心と意識の本質を取り扱う一連の文書の一つで、時間の法則財団の研究開発センター、ヌースフィアプロジェクトにおける進行中の研究の一環を為す。

サンタ・クルス在住のラマ僧、クンサン・パルデン・リンポチェに深く感謝したい。彼は以下のテキスト”The Golden Tradition, A History of the ancient Lineage of the masters of Wisdom, the Holders of the Supreme Yoga Tradition, in Continuous Succession from the Seventh Century down to the Present (1995)”を執筆し、また、「覚醒の境地のカッコウ第三部、「金剛の六行詩」として知られる悟りに至るための装飾品」を翻訳して注釈を加えてくれた。

Rainbow Circle Sanctuary
青い水晶の嵐の年
形のフクロウの自己存在の月アルファ5日、Kin 87、青い太陽の手

《監訳者注:本文の監訳に当たっては、下記の文献を参考にしました。》
(1)『ダライ・ラマ ゾクチェン入門』(春秋社)
(2)『セム(第6+7合併号)』(ゾクチェン研究所)
・本文中の「本来備わっている意識を指し示す三つの言葉」は、(1)では「要点を突く三つの言葉」、(2)では「三つの急所」として掲載されています。
・本文中の「覚醒の境地のカッコウの金剛六行詩」は、(2)に「六句によるリクパのカッコウ」として掲載されています。


《英語原文》http://www.lawoftime.org/research/dzogchen.html「時間の法則財団HPより」
Copyright (c) 2004 Foundation for the Law of Time
Japanese translation (c) 2005 PAN-Japan-trans-team