本ホームページ内容の原著作権はホゼ&ロイディーン・アグエス夫妻に帰属します。
「新しい時間のためのキャンペーンをイメージしましょう!人と人の隣人愛から私達を遠ざけ、絶望的な不平等や分離、持つものと持たざるもの、貪欲や飢餓などを私達の社会に浸透させているのは、不規則なグレゴリオ暦の中に植え付けられてきた2千年に渡る信念体系です。グレゴリオ暦のつくり出すものは国境や金銭や戦争などによる分離です。”イメージしてごらん、国の違いなんて無いんだと。何かのために殺したり、死んだりすることも無いんだと……” 時間の法則は断言します。鳥はパスポート無しで飛ぶし、イルカは銀行口座無しで泳ぎます。蟻は携帯電話を持たずに暮らしているし、生物圏の全てのサイクルに国境はありません。さらに一層深く私達を分断させ、自然の秩序から分離させているのは、金銭と銃によってがんじがらめになっている国境です。新しい時間のキャンペーンは、「暦を変えることが出来るとイメージしてごらん」、と私達に訴えかけます。私達人類は月に到達できたのだから、カレンダーだって変えられます。私達がカレンダーを変えられるなら、考え方だって変えられます。そして私達が考え方を変えられるなら、“すべての人々が平和に暮らすこと”をイメージすることだってできるのです。
4月や5月や6月、あるいは10月なんて無いんだ、とイメージしてください。死の工場なんて無い、とイメージしてください。政府なんてもう無い、とイメージしてください。そして、テレパシーによる生き方をイメージするのです。新しい時間の基準があることをイメージし、それを手足の指で学んでいるとイメージしてください。13:20の母体が、私たちの身近にたくさんあるとイメージしてください。すべての人々が自然の時間で暮らすのをイメージしてください。すべての人々が世界を分かち合っているのをイメージしてください。時は金なりの世界ではなく“時間は芸術なり”そんな世界をイメージするのです。」
人類のための地球の新しい時間を、科学が提示する。
「私達は月に到達できたのですから、暦を替えることだってできるでしょう。」キン19の表明。
年代学的、天文学的そして共時的な時間の秩序
「君子もって暦を治め時を明らかにす。(「易経(岩波文庫)」より)・・・優れた人物は、秩序だった暦を設定し、季節をはっきりさせる」
易経 ヘキサグラム(hexagram) 49 革命
通例として、暦は時間を(計算)計測するためのシステムとされています。事実上、現在ある時間を計測(計算)する全てのシステムは、年代順であるということに注意を払ったものか、または少しましに、天文学的な時間?天体、太陽、月、惑星、星、および星座に関連した地球の動きに注意を払ったものです。これは全く3次元的、物質的な時間の考察です。時間の法則では、より高次な時間の秩序-共時的秩序-を確認しています。これは4次元の時間であり、年代順を含んでいるものの、より高次の精神的で、数学的なリアリティの秩序を含んでいます。時間の法則によれば、自分が使っている暦について知らないために、あなたは苦しんでいる、ということになるのです。4次元的な時間の共時的秩序の知識なしに、全く3次元的な時間的、天文学的に時間を計る基準によって現実を動かすということは、地球を危険にさらし、地球上のあらゆる生命と共に、人間という種族の未来の生存をも危険にさらすことになる、不完全で一面的なリアリティの一側面に人類を服従させることです。
この状況を正すために、根本的な解決策として、時間の法則の発見によって明らかにされた、共時的秩序を盛り込んでいる新しい暦が必要なのです。13の月の暦の重要性は、共時的秩序に年代学的な時間の法則を抱合させること、そして、今後は人類に、これから10年の間に確実に陥るであろう酷い状況から逃れるための、乗り物を準備するのです。真実の追究においては、教義は挑戦すべきことや廃止すべきことに遭遇するものです。そのような教義とは、その使用において世界標準となっている暦、グレゴリオ暦のことです。元々は、1つの民族あるいは宗教に特有な思考体系であったこのグレゴリオ暦は、全ての民族とこの惑星の生物さえも惑星人類学の1科目として、その支配下に治めたのです。
「原子時代の到来以来、人々の考え方以外の全てのものが変わってしまいました。(このままでは)私たちは無比の大災害に向かって漂流している(ということになります)。」アルバート・アインシュタイン
人々の考え方を変えるためには、毎日の生活の非常に単純で普遍的な要素、毎日の考えが根ざしている所の物を取り出して、根本的に変えなければなりません。そうすれば人々の考え方は、自ずと劇的に変わるでしょう。これが13の月の暦によるグレゴリオ暦を置き換えることの意味です。改暦は必要です。時間の法則の発見の実用的な適用として、カレンダーが焦点をこの発見の本質に合わせるのですから。:時間は周波数(共時性の周波数)です。カレンダーが共時性を増加させない場合、(本来もっている)最高の機能を実現していません。これはグレゴリオ暦への基本的な批判です、そして物理的、三次元的、天文学的な測定に全面的に基づいたすべての時間概念への批判です。この発見は非常に新しく驚くべきであり、すべての人間の思いに影響します。また全ての信念体系、宗教および科学の方法が認知しなければならない事柄です。時間が、13:20として数学的に表現された周波数であるという発見は、時間についてのあらゆる考えの深い再構築と、惑星上の生物としての人間社会の結果的な再構築を要求します。時間の統一場理論としての時間の法律の発見は、人間の共時性を要求します。現在の誤った時間標準であるグレ
ゴリオ暦を置き換え、グローバルな市民標準としての13の月の暦の確立に基づいた時間のなかの共時性を。これは最も重要なことです。全ての信念体系は、人々によって使用される暦あるいは時間を計測(計算)するシステムを中へ閉じ込められ、埋め込まれる、と言う事なのですから。
一般に、今日の人々はすべて、天文学的時間の正確さを追求し、その追求の対象としての年の長さ、に基づいた暦によって拘束されます。天文時間は、ほとんど意識または共時性と関係がなく、同質化による縮退に帰着する、常に変わりしかもまた捕らえがたい秩序という負けゲームです。
グレゴリウス13世によって365日5時間48分20秒と計算された年の長さ(太陽のまわりの地球の軌道の基準)は、1世紀当たり1/2秒の割合で遅れます!!!グレゴリオ暦中の時間の長さが1年当たり25.9678秒「本当の」太陽年からずれているので(そうなります)。1972年に、この不一致を整列させることに取りつかれた修正主義の科学は、地球時間を原子時間で置き換えることにした。そして一年365.241299日の基準を、原子のセシウム時計に、1年当たりセシウムの290,091,200,500,000,000の発振に取り替えました!!!
国家、文化、文明のすべての価値観、習慣および規準は、使用する暦に埋め込まれています。グレゴリオ暦、現在のグローバルな市民標準(実際、グローバル化における時間の基礎)は、シーザーの、ローマ帝国の、カトリック教会の、そしてバチカンの暦です。この暦を変更することは歴史そのものを変えるということです。それを行うことができるのでしょうか。国際連盟は1930年代にこれを試みましたが失敗しました。国連は1956年にこの努力を棚上げにしました。国連が改暦の問題を無期限に延期してから、地球の人口は2倍以上になりました。すなわち、32億人以上、増加したのです。人口は、いまだにコントロールすることができず、実際、時間に関して人間性が五里霧中であるということについては、問題が山積みです。?
グレゴリオ暦を交換するかもしくは少なくとも改良したいという(前述の)理由は、今日でもまさしく有効です。グレゴリオ暦は、時間の計測単位ではありません。論理性と理由付けを欠いています。グレゴリオ暦で計算をしようとすると、心が麻痺し、泥酔してしまいます。グレゴリオ暦は、不可解で、中世が暗闇に覆われてた時代であったのと同じようなものなのです。このカレンダーを使うことによる実際の効力は、時間そのものの、実際の性質に関する、精神の混乱および無知の基本のレベルを永続させることです。?他の可能性を考慮する習慣をいやがることによって、教義を盲信する無知であり、そして(前述の)システム全体を第二の天性として認めることです。それ(G暦)が地球の太陽の軌道の最も正確で最も科学的な基準であるという議論は、心に対するその影響や支配する側の教義としての麻痺させる力とは、何の関係もありません。
実際、太陽を基準とした1年当たり365.241299日は、「30日の9月、など…」と本質的に何の関係も持っていません。そして逆もいえます。実際、地球の軌道の基準は1つの事ですが、共時性の要因として時間を計算する暦と言うのは全く別の事です。そして、文化あるいは文明の性質は、維持するカレンダーによってまさに決定されるので、歪んだ標準を使うことは、時間に関する質問さえも禁じて(斜めに??)することになります。
バチカン第二公会議のその年、1961年、のカレンダー改革の失敗は、千年至福の教義、グレゴリオ暦に、如才なく姿を変えて、ますます自己満足の受容を促進しただけです。主題:カレンダーに関する最後の言葉「真実で正確な年を決定する人間性の壮大な努力」の結論の中で、デービッド・ダンカンは要約します。「私たちはそのカレンダー(グレゴリオ暦)でやっていきます。欠陥があるががまんします。主な訳は、私たちのうちのほとんどにちょうど適するように働くからです。また、私たちが慣れているからです。」(1998年 p.300)。何か欠陥のあるがそれを修正させない、というだけでなく、慣れていることにより、それを受け入れる(??)。実際、この姿勢は決して科学的ではありません。むしろ、それはまさに自己達成的な教義の基礎以外の何者でもありません。しかしまた、この常軌を逸した計時法に基づく文明は、歴史において最も科学的な文明であること誇っています。
この欠陥のある時間感性により、今日の人類は倫理的な理由付けあるいは論理付けがほとんどできないと結論づ
けられるかもしれません。不合理で非論理的な時間標準の結果として、あるいは少なくともその時間標準によっ
て強化されたことにより(そう結論づけられるかもしれません)。
いつでも、私たちは習慣のゆえに欠点を「見落し」たり「忘れ」たりします。
あるいは単に、例えば、その道具の使用に慣れています。−その道具に欠陥があり不規則あると実証されたとし
ても−、欠点を受容し順応する全意識、そしてその意識を結局汚染することになる倫理的怠惰を示す証拠である
道具(に慣れています)。学ぶべきことは倫理的な特権が(存在する)ということです。
実は、グレゴリオ暦は欠点と付け加えのごたまぜが、現実的な基礎を持たずに系統的な公式へと合理化されたも
のです。イースターの祝日はその好例です
イースター(復活祭)はキリストが復活したお祝いの日です。ちょうどクリスマスの彼の誕生日がそう
であるように、有る特定の1日にこれが生じたことは論理的に当然と考えられるかもしれません。しかしなが
ら、キリスト教がローマ帝国内の確立された力になる以前は、誰もキリストの復活が何日だったか正確に知りま
せんでした。AD 325にコンスタンティンによって召集された二ケーアの公会議で、様々な理論が示された問題に
ついて討論しました。討論は、1つの推測のシステムの勝利で決着されました。そのシステムは、イースター
が春分点の後の、最初の満月の後の、最初の日曜日に祝われる、と宣言しました。また、満月が日曜日にあった
時は、ユダヤ人の過ぎ越しの祝い(Jewish Passover)と同じ日にならないように、次の日曜日に祝われます。
数世紀の間、キリスト復活の日付に関するこの推測の理論は、イースターがいつ生じるか予言するために精巧な計算のシステムで支えられてきました。これらの計算はすべて、365.241299日の太陽年と共に354.3672日の太陰年に基づいて、29.5306日の太陰周期の合の整列の確立によって作られました!!入念な数学的計算により強化されたシステムであると言う事実は、システムがもとは(今でも)高度に利口であるが相対的として単なる推測だったという事実を、いずれにしろ、減少させません。ジュリアン−グレゴリオ暦へ徹底的に埋め込まれていた、イースターを決定するシステムは、グレゴリオ暦自体と不可分で、それが改革に対する抵抗の主な理由の1つです。ローマの帝国のシーザーからの疑問もなく相続したこのカレンダーのシステム全体は、まさに僧侶の階層の自己永続の形式、それはその支援に多数の銀行家、財界人および科学者、ならびに彼らの管理の下にある精巧な社会体制-グローバル文明(自体)-を含みます。グレゴリオ暦を取り去れば、全構造はその根拠と基盤を失います。
グレゴリオ暦の教義は容赦のない教義として構築されます。どんな変更あるいは追加も、一旦それがシステムへ導入されたならば、不変で容赦のないこととして認められます。月の名前、月の日数、週の日(曜日)の名前、イースター、太陽年と太陰年の日数差、西暦、閏年、主日文字はすべて、ジュリアングレゴリオ暦として知られている入念だが不明瞭で不可解なシステムへ発展した追加の歴史について記述します。太陰年および太陽年の一見和解不可能な長さを適応させるシステム、その不規則な尺度を調整する巧妙な探索は、科学的、産業的革命を生成しました。グレゴリオ暦の発展を特徴づけるのと同じ姿勢および容赦のない教義は、同様にこのカレンダーが大量に産んだ技術的文明の成長と性質を特徴づけます。証明された欠陥を改善する望みは技術的な進歩のまさに基礎です。そして、それは不可逆なものとして与えられ、技術的な進歩のすべての前のレベルを受容しました。時計を発明した機械の自己達成的な教義としてできた、時計を戻すことができません。時計の発明自体がユリウス暦の非論理的な標準で生活する僧の妄想の結果だったのです。
この結果として生じる、グレゴリオ暦と時計に根ざした、意識あるいは精神状態は、時間の法則によって12:60計時周波数として定義されます。天文時間を具体化し定義するために、必敗する同質化の追求によって推進されるこの周波数こそが、人類の盲点なのです。地球の天然資源を消耗し、さらに環境を汚染する間にも自身のライフスタイルを維持する方法を熟考する人類の。
「ジュリアン/グレゴリオ暦が時間を測定するための新しい装置として提示されることになっていたならば、生活についての現在の知識および状態で判断し、私たちはそれを拒絶するでしょう。完全に実行不可能で、調和と秩序に欠けて、不均衡で不規則であり、様々なセクションが比較可能でないので、計算を行うのにとてもぎこちないカレンダーとして。」(B.リッチモンド「Time Measurements and Calendar Construction」ライデン、1956年、pp.70-71)
無条件にグレゴリオ暦に従う科学あるいはいかなる科学者も、実際には科学の名にふさわしくありません。科学とは何でしょう。論理と正確な測定に関与するもの、と私たちは答えるかもしれません。同様に、なにが測られるべきかに合わせて、測定の一定の単位を使う測定標準とも(答えるかもしれません)。そうです。一年は長さで365.241299日であると計算されます。しかし、使用されている毎年の測定標準が不規則で非科学的なものなら、それは何にも役立たず、単に自滅に終わるわき道へ導き、実際、心をゆがめます。実際、真実で正確な年の追求それ自身は、時間の実際の性質に対して私たちを盲目にする錯覚の追求なのかも知れません。私たち自身、私たちの役割およびこの地球上での目的についての純粋の理解から、遠ざけることかもしれません。
13の月の標準へとカレンダーを交換することは、自然な健康の道へ私たちをリードし、私たちを本来の目的に返すことです。時間の法則によれば、人間性?時間の中で最後まで躊躇した結果、40年前にそのタイミング周波数を変更する機会を逃した損害は甚大でした。カレンダーおよびタイミング周波数を変更する、最終の機会は今私たちにあります。このために、私たちは、今度だけは我々すべてのために現在の市民のカレンダーを摘発し除去することの理解と決定を、非常に明らかで堅固にしなければなりません。デービッド・ダンカンのさえ、厚かましくも、弁解者のローマ教皇グレゴリウス支持の本(カレンダー)の中で、日付2012にその時間ラインで終了しています、「現在のマヤの大きなサイクルは終了するだろう。」しかし、私たちも終了するのでしょうか。2012年までと言うのでは、変わるには遅すぎます。なので、新しい時間のためのキャンペーンのゴールとして、新しい時間の試みの惑星の年、2004-2005、を設定しました。
*** 惑星の月の年は、2002-2003???
II 提唱者すべてが13の月の暦を全面的に普及させるべきだとする、グレゴリオ暦についての批評要旨。
真実を測定する計器、そして正確な年月を誤り導く道具としてのグレゴリオ暦の概念だけでなく、宇宙の働きの持続時間あるいは測定を除いた、時間についてのいかなる熟慮からも私たちの目をくらませるという目的に、ただ、焦点を絞っているのです。時間の法則は、時間の性質そのものが共時的であると断言します。それゆえ暦の目的は、そこから拡張し、私達を真実のより高次の精神的な秩序に戻す、調和した数を持つ様々なサイクルに従って、私達を時間の内に同期させるよう運命づけられているのです。
そのサイクルの秩序と理解の同盟が結ばれる時に、調和のとれた、完全な数学を退けることは、致命的な誤りです。真実と正確な年月の追求は、完全に従属時間の周期的な性質を、それが存在の唯一の要素と考えられる時に驚異的な世界を特徴付けている絶え間ない不完全と変化にすっかり従属させています。これは、12:60意識のまったく物質主義的な世界観を明らかにしています。
歴史以後の段階で人類を調和的に再編成する要素としての、時間の共時的秩序の発展的な必要性と、時間の法則の適切な理解のための基礎を最後まで準備するため、グレゴリオ暦として知られている誤りを心から拭い去ることが必要なのです。標準的なものさしとしてのグレゴリオ暦の非論理的で不合理な性質を証明し、暴露するため、以下の7つのポイントが人類シンプルな手段の標準としてグレゴリオ暦の非論理的で、理性のない性質を示し、露出するために、以下の7ポイントは、本質的論理とあらゆる人間の知性の簡単な抗議として提示されます。
- 私たちは、規則的で均等な尺度の単位を、標準的な尺度として要求します。これは、グレゴリオ暦の尺度単位の基礎が不規則で、でこぼこした方法で進むということ、つまり、ひと月は、31日、28日、31日、30日、31日、30日、31日、31日、30日、31日、30日、そして31日、という方法で進むのです。。
不規則な単位を持つ標準尺度を、誰が使うというのでしょう?結果的に、何千年もの間、一貫してゆがんだ標準尺度が採用されたのはなぜなのか、あなたはご存知ですか? それは多分、アウグストゥス・シーザーの治世当時、8月がひと月30日で、セクストゥル(互いに60度離れた、の意)と呼ばれており、その時、2月はひと月が29日だった頃のことに言及できます。アウグストゥスを称え、ひと月31日のジュリアス(ジュライJuly 7月)と等しくするために、2月から29番目の日を取ってセクストゥルに付け加え、名称がその時にアウグストゥス(オーガストAugust 8月)に変更されました。13の月の暦は永久に、調和的な対比によって、尺度単位はすべて均等にひと月28日です。
月の名称は、それらのでこぼこに定められた日数と同じくらい非論理的です。1月Januaryは戸口の神に由来しています。2月Februaryは、動物占いの儀式に関連した、はっきりしない言葉です。3月Marchは、惑星(火星)と戦争の神に関連しています。4月Aprilと5月Mayは、春の女神と関連しているのかもしれません。6月Juneは木星Jupiterの妻の名前です。7月Julyと8月Augustは、2人の最も突出したローマ皇帝、ジュリアスとアウグストゥス・シーザーの治世の後で名づけられたものです。残りの月、9月September、9番目の月は7番目という意味で、10月October、10番目の月は8番目という意味です。11月November、11番目の月は9番目を意味し、そして、12月December、12番目の月は10番目を意味しています。もちろん、ゆがんだ標準尺度に慣らされてしまうことによって、不合理な月の名称を大目にみたり、悪気のないこととして片付けてしまうことは簡単です。しかし、そんなに悪気のないことなのでしょうか?仮定するために、カレンダーがふりを 品質 することができて何で時間の時間、または宇宙論または文化のさえ注文が必要であるようにしますか これらの月持っているの名前 この不合理な名称の混乱を盲目的に受け入れることによって、私たちがこの暦を受け入れるように仕向けているのです。 - うるう年とうるう日は、グレゴリオ暦の最もおおげさに宣伝されているイメージです。構造的に、グレゴリオ暦はユリウス暦と見分けがつきません。ユリウス暦とグレゴリウスを隔てる唯一のものは、うるう年日の修正です。うるう日は、365日ではなく、365.241299日である1年の長さを調整するため、4年ごとに累積する特別な日です。端数.241299は、完全な1/4である.25ではないということがわかるでしょう。ユリウス暦はこの点を考慮しておらず、それゆえ「誤差」は、ユリウス暦が春分の日を暦上に作る際にいつの間にか忍び込み、春分の太陽時の後、約10日間が減ってしまったのです。このように、1582年に法王グレゴリ−13世がジュリアス・シーザーの暦を「改良」し、その約1627年後、100年ごとに訪れる4の倍数の年として予測できる、-末尾00-年には余剰日を設定しないというルールを採用しました。従って、4の倍数である1900年と2000年にはうるう日がありませんでした。
- あまり知られていないことですが、バチカンはうるう日を式典暦上、認めていません。それはどういうことでしょうか。ラテン語系のほとんどの国々では、うるう年とうるう日はビジエスト(bisiesto)または、ビゼクスティル日、ビゼクスティル年と呼ばれています。うるう年が4年ごとにあるとすると、なぜ6を意味するセクスティルと呼ばれるのでしょうか。公式な典礼用の暦には、2月29日が存在しません!!!その代わりに、2月24日が2回あり、2番目の2月24日はカウントされません。?
もし2月24日がカウントされた特別な日である必要があるなら、決められた祝日のシステムは打ち捨てるられるでしょう。その代わりに、2月24日(聖マシューの祝祭日)は、2回カウントされるいか、1日が48時間に延長されます。教会の伝統がローマ帝国からもたらされて以来、日付は翌月のついたちからカウントされ、初日は常にカレンズ(calends、朔日)として区別され、2月24日、その日は、理論上、3月のカレンズ(calends、朔日)の6番目に属しているのです(2月24日=3月の6番目のカレンズ、2月25日=5番目のカレンズ、2月26日=4番目のカレンズ、2月27日=3番目のカレンズ、2月28日=2番目のカレンズ、そして3月1日=3月のカレンズ)。この理由により、3月の6番目のカレンズは二重になっているので「bi」、ビジエスト(bisiesto)と呼ばれているのです!バチカンの公式な礼拝暦で2月29日が承認されていないだけでなく、典礼用の暦でもその日はカウントされていないのです!
2月29日は16世紀と17世紀だけに一般的になった慣習です。年ごと、.241299の余剰日の原因となるネメシス(ギリシア神話:復讐の女神)は、「本物」の年を捜し求める際、天文学的な時間が定着していることを明らかにしており、うるう、あるいは余剰の日の問題点を、論理的、シンクロ的に多くの別の方法で取り扱うことができるという可能性を減じています。結局のところ、グレゴリオ暦、「私たちの人生のかくも多くを支配する箱の細かい網目」として知られている道具の中で累積した、時間の感性が麻痺することをさらに助長する、うるう日を取り巻く秘密があるのです。 - 私たちが測定するための道具を説明するために使う言葉、あるいはもっと適切に言えば、公転軌道の測定に用意している言葉、「カレンダー」は、カレンズ(calends、朔日、ローマ古暦で「いちにち」)という言葉に由来しています。カレンズは、ローマ人が月の初日に与えていたラテン語の名称です。カレンズとはどういう意味なのでしょうか?カレンズは、毎月支払った借入金と支出金の支払額を記録する、会計簿の名称でもあるのです!私達が、「時は金なり!」という哲学に支配されるのも不思議ありません。この哲学は、時間を計測するということを説明するために私たちが使っているまさにその言葉、「カレンダー」に根ざしています。時間を計測することを説明する、より的確な言葉は、クロノメーターあるいはシンクロノメーターでさえあるかもしれません。しかし、もしかしたら、語の計数はもっとシンプルかもしれません。例えば、13の月の暦は永久にひと月28日だ、ということだけは言えるでしょう。
- キリスト文字。その年の最初の日曜日があたっている週の日の文字に基づいて、その年をコード化するために使われているキリスト文字のシステムを、バチカンの内情を知っている人を除き、ほとんどの人は知りません。1週間が7日になって以来、7つの、たった7つのキリスト文字があるのです。キリスト文字はaからg、a = 1、b = 2、c = 3、d = 4、e= 5、f = 6、そしてg = 7まであります。従って、G-7(主要先進7カ国)、CIAから世界的に拡大する独裁国に与えられた名前ですが、は完全に7つのキリスト教文字aからgまでのシステムに根ざしており、グレゴリオ暦に還元されうるのです。
その作用は次のとおりです。今年、2001年の年の初日は月曜日でした。従って、今年の月曜日は全て、aという文字にコード化されています。最初の日曜日、1月7日の先を計算すると、今年の日曜日はgという文字にコード化されています。その年の文字は、常に大文字で、その年の最初の日曜日をコード化している小文字に基づいています。その結果、今年、2001年は大文字のGにコード化されているのです。
これらの秘密を暴露し、時間の真の調和というのは、28と7で完全にコード化される、13:20のツォルキンの母体に含まれていることを明らかにするのです。 4つの音のどのような組合わせでも、神秘の四つ組のことですが、放射状にお互いが正反対に位置し、常に総計で28になるのです。65(×4)、先に述べたセットがツォルキンを構成しているのですが、7が、13:20の母体を適切に保持する(13+7=20)ための鍵となる要素です。しかし、時間の法則がコード化された上でツォルキンが調和し、時間の法則によって制御されてもグレゴリオ暦は不調和なのです。1562年にランダ司教の手によってバチカンが破壊を試みたものは、時間の法則によって取り戻されるのです。非論理的で不合理なグレゴリオ暦という不正確な測定器具が覆い隠していたものを開放し、時間の共時的が事実として正しく、1年13ヶ月、ひと月28日の計算によって完全に調和した13:20の数学的なツォルキンのコードが発見され、明らかにすることができるでしょう。 - グレゴリオ暦は日付計算を難しくしています。グレゴリオ暦のでこぼこした12ヶ月は、52の1週7日間とプラスワンの日という補助システムで動作します。ひと月の日数が不規則で、1年が364日ではなく365日なので、毎月毎月、いち年いち年、簡単に計算することがほとんど不可能です。例えば、今日はグレゴリオ暦で2001年5月4日金曜日です。6月4日は何曜日でしょうか?7月4日は何曜日でしょうか?一刻を争う精神的なブロックがあるのです–心が麻痺しているのです。立ち止まって、それについて考えねばなりません。
そしてこの麻痺している小停止状態では、認識脳をふさぐしかなく、「今何時なのか」を知るために壁掛け時計を見る時とほとんど同じように、あなたはテレパシー的な知覚を失っているのです。なぜこの方法でなければならないのでしょうか?誰が利益をえるのでしょうか?それは、たとえば2001年の金曜日はキリスト文字の「e」だという退屈な規則が即座にわかる聖職者と、不安定で不均衡な月ごとの日数の混乱に基づいたシステムに興味を集めている銀行家です。
万年暦である13の月の暦と対比させると、このカレンダーでは、今日はスペクトルの日です。月のガンマは3-毎月3日目はガンマによってコード化されます。いったん28日の日数計算をマスターしてしまえば、水晶の月3日が何曜日なのか、宇宙の月3日が何曜日なのかと見つけ出すために認識脳をふさぐ必要が全くなく、このようにして、心はテレパシー的な知覚の中へと解放されるのです。1週7日間のシステムはAD325年のニケーア公会議でユリウス暦に導入されたのもので、バビロニア人が考案した占星術的天文学に由来するユダヤ暦から採用されました。週のシステムがバビロニア人に源を発するということで、バチカンが「時間をはずした日」を論駁するために用いた議論が解消するのです。
バチカンに言わせると、「時間をはずした日」が、 1週7日間の連続が中断させることにより、神が創始した秩序が混乱するそうです。7と52の問題は、時間の法則の共時的なより高い次元の光明の下で理解される時に、ずっと深い意義を持つのです。ひと月28日13ヶ月を計算してみれば、1週7日間、52週の計算を完全に理解できるでしょう(7×52=13×28)。「時間をはずした日」の遵守すると、1年の365番目の日は、完全に永続的な調和を生み出すのです。
「時間をはずした日」を持たない1年12ヶ月の計算を放棄することに気が進まないながらも、52週間のシステムを強く要求する、このことを知りながら、どうしようもない不調和に執着し固持する・・・ 暦を替えましょう。 - 名称に何があるのでしょうか?それについて考えて下さい。ジュリアンとグレゴリウスと呼ばれる暦に従うことに何の意味があるのでしょうか?暦はコントロールするための道具なのです。歴史上、最も重要な2回の暦改革は、でBC46-45年のジュリアンの暦改革、そしてその後継者、グレゴリウスのAD1582年の改革でした。ジュリアス・シーザーの原動力は、何もかもが彼の個人的な野心と共和制から帝国主義的統治形態への変換に関係していました。ジュリアス・シーザーのカレンダーは、土台となって帝国の権勢を確かなものにしました。ジュリアン、そしてその後のグレゴリオカレンダーを利用している帝国の針路は、今や歴史そのものの針路と切り離せない、支配的な力として普及しました。ジュリアス・シーザーの改暦に伴った、1年に445日あるという混乱(BC46年)は、2番目の重要な改革、暦が太陽の動きについていけるように、1582年の10月4日から15日の間の10日間を「永久に失う」、グレゴリウスの改革によって調和が取られました。
ヨーロッパのカトリック諸国が改革を容易に受け入れる一方、プロテスタント諸国はしぶしぶ、不本意ながら従いました。けれど、アメリカ全土にわたって、ジュリアン−グレゴリオ暦は、優越の力と象徴の道具として、高度な文明を持つマヤ、インカ、そしてアステカの人々を含めた、ヨーロッパ人が征服した人々に押し付けられました。それらの人々は、偶然にも、共通して、1年13ヶ月、ひと月28日の暦を使っていたのです。法王グレゴリー13世の改革に向けた、ジュリアス・シーザーの改革同様、改革の機が熟した時、それ自体が急速に拡大する力と支配として伝わったのでしょうが、今回は地球全体を覆い尽くしているのです。
ヨーロッパ人の優越と支配が惑星中に広がり、自分たちが確立した計時システムが一般に受け入れられた民族でさえ、名ばかりではあるけれど、「国際的な方針」のために、太陽年を計測するためのグレゴリオ(ジュリアン)暦のシステム
ジュリアス・シーザーの帝国のエゴのその根本から、法王グレゴリー13世のタイムリーな「改革」まで、「その奇妙な気まぐれとそれを生み出した歴史のねじれにもかかわらず」(ダンカンP.289)、この暦が世界的な文明の標準になったことは驚くことではありません。世界的な文明それ自体が、人工的な世界の自然な世界に対する勝利なのです。
時間に対して鋭敏な種だけが で人工的計測器具によって捕らえられ、「fast world」として知られる奇怪な難問によって生み出された有害な勢いを修正するため、改暦のためのあらゆる努力は、今すぐ命じられるべきなのです。
III. 調和と不調和、どちらがお好みですか? 暦改革 当時と今
グレゴリオ暦を構成すがる歴史の巡り合わせとねじれを再検討する際、私たちが問うべきは、なぜこんな計測器具を使いつづけているのか、そしてその影響はどんなものなのか、ということです。暦とは、何かであり 借入金(カレンズ、calends、朔日)の返済計画を立てるための道具以上の何か、言い替えれば、同期を取るための計測器具なのです。時間の調和あるいは不調和というのは、私たちが時間計算の計測器具として使用しているものに深く根ざした問題です。私たちが調和どころではない、混沌とした時間を生きているのだという、わずかな問題があるかもしれません。心を計る標準的なものさしの持つ影響力に関して、時間の混沌が私たちの使用する暦にはめ込まれているということも言えるでしょう。もし、私たちがこの混沌とした時間を去り、調和した時間の一員となる運命であるならば、私たちは、カオスがはめこまれている計測器具を、まさしく調和のモデルである計測器具-1年13ヶ月ひと月28日の暦と交換すべきなのです。このことは、人類がまさに今、選択すべきことなのです。
時間の本質の問題、もしくは私たちが生きている時代の問題は暦の問題と切り離せません。現在一般的に世界で使われているカレンダーは、本来心と体がもつ時間感覚を妨げ、時間を単に年代の問題として格下げしてしまいました。「年代学は連続する年すなわち時間尺度の記録もしくは集計です。」(リッチモンドp.16)事実、時間の計算は全て、天文学上の指標から起こり、数学的見地だけから時間計算を始めたマヤ人は重要な例外的存在なのです。しかしこの数学的見地からマヤ人が考案した年代法は、他に類なく優れていると多数証明されています。マヤ文明を描いたモザイク壁画があるアリゾナ、トゥーソンのキットピーク観測所はヨーロッパの暦に対するその優位性を示しています。
マヤ人の光輝を認める一方で、初期の改暦の動きがその知識を取り入れようとしなかったことは重要です。しかしそれは時間というものが単なる年代学としてのみ捉えられ、その共時的な秩序をほとんど理解していなかったからです。年代学のシステムはグレゴリオ暦をその本質としていたため、初期の改暦運動はバチカンさらには地球上の構造に全くインパクトを与えませんでした。
何年もの間、改暦にたくさんの考えや行い、意向が注がれてきましたが、残念ながらその提案や推薦のどれ一つとして、グレゴリオ歴を採用しているローマ教会は取り上げませんでした。1930年代に、教会の布教聖省は、時間をはずした日の設定を必要とする1週7日間の連続を放棄させるべく、そのような休止期間は、世界をより深く、混沌と蛮行、そして戦争に陥れると強く主張し、改暦のあらゆる可能性を制限することにターゲットを絞りました。何世紀にもわたる総力戦の終了は、今や、赦しと「時は芸術なり」の祝祭の式典、それ以上に、この点がまったくの間違いであったことを証明する日として、毎年恒例の、惑星を横断する時間をはずした日の祭りの式典と結び付きました。
グレゴリオ暦の複雑で不合理な無秩序が、人間社会の混乱に疑う余地のないレベルで責任があったという初期の改革主義者の主張は、時間の法則により確認され、12:60という不自然な計時周波数に熱中するということで暦の影響を特徴づけています。第2次世界大戦が間に起こり、まったく惰性的なグレゴリオ暦の独断が勝利を得ました。1956年の国連での暦改革議論と1961年の第2バチカン公会議が中止され、改革に反対ではなかったのですが、非常に限定的な言葉で、週7日制を混乱させず、イースターの伝統を「移動祝祭日」として尊重する限り、その話し合いを打ち切ると断言しました。この時に初期の暦改正派は文字通り消えていき、暦改正は歴史の中に葬られた問題の一つとなりました。
カトリック教会の聖職者たちが、1562年の宗教裁判の判決宣告を通じて埋葬し終えたと考えたことを、征服されたマヤ人はジュリアン-グレゴリオ暦の賦課に耐え、1987年に正確に預言どおりのタイミングで取り戻したのです。マヤン・ファクターの出版はマヤ文明の新しい見解を開いたばかりでなく、時間というものに年代学ではない何かがあるという理解を与えました。時間の新しい尺度は放射状でフラクタルな時間、共時的な秩序をあらわしました。2012年、13バクトゥンの長期周期の終わりに、時間の本質が再評価されることは、マヤの預言でも取り上げられています。
マヤン・ファクターに続いて、1989年に13:20と12:60の計時周波数が発見され、時間の法則を始めて意識し、改暦の問題に気付き始めたのです。実質的に初期の暦改革動きについて何も知らないと言っていいかもしれませんが、計時周波数の発見に駆られて、まず最初に、様々な文化を持つ人々が、グレゴリオ暦を13の月の暦に替えようという呼び掛けに答えるかどうか、慎重に、もっとも信望のある道を確立しようと努めました。このことが13の月の暦に替える平和運動のシステムの突破口となり、惑星芸術ネットワーク(Planet Art Network 1993年)が生まれました。暦改革の計画が流れ出し、約7年間吟味された後、時間の法則のための財団を統合し、設立すると決定されました(2000年)。
時間の法則によって世界で13の月の暦に替える平和運動が定着し始めました。入念な研究によって初期の改暦運動に関する情報が現在の13の月の暦に替える平和運動の考察に組み込まれました。このような努力によって、新しい時間の運動は2000−2004年、次の段階へと来ています。初期の改暦運動の歴史と本質が何であるか理解することは重要なことです。それは運動により合法性と必然性を与え、時間の法則が最期まで追求し続けるものだからです。
20世紀前半、精力的で組織的な改暦運動が盛んだったことはよく知られています。グレゴリオ暦を替えようとする運動のこういった状況から、1923年国際連盟は改革をするという提案をしました。500以上の提案がありましたが、1931年には3件だけが検討に残りました。
1) 国際カレンダー機構は、ブロートン・リッチモンド氏により提案されました。5の数字を原則とした万年暦です。5つの73日周期=365日、および週6日、5週間で1ヶ月、12ヶ月プラス5日間で1年になります。(13の月の暦は、さらに週7日の52週間に統合された、73の5日間-倍音色彩-のプログラムを含んでいます。)
2) 国際カレンダー連合 モーゼス・カットワース氏により提案されました。イーストマン・コダックと国際商工会議所によって推進され、本質的には私たちが勧めている時間をはずした日を含む月28日の13の月の暦と同じものです。それは数学の徹底性には欠けますが、時間の法則の発見のきっかけとなりました。
3) 世界カレンダー組合 エリザベス・アキレスによって提案され、グレゴリオ暦の12ヶ月を修正したものではありますが、永久化したものを勧めています。これもまた「時間をはずした日」の考えをもっています。
13の月の暦に替える平和運動は、多数の議論と初期の改暦運動の様々な側面に基づき、時間の法則の財団の設立を通じて調整されました、ここで一番重要なのは、万年暦が必要だということです。13の月の暦に替える平和運動と先人達を分かつ点は、40年という先例のない長期にわたる、12:60の計時周波数の抑えられない影響だけでなく、時間の法則そのものの発見です。事実、1961年の改暦運動の失敗に続く、計測器具を介した12:60周波数の揺るがぬ促進、人類の科学技術的行動が、時間の法則の発見の進化的必要性を引き起こしたと言えるでしょう。
時間の法則は、13の月の暦を通じて自然な時間へ回帰するだけで、自然な時間と同期をとるための回路が切れてしまった、過激で破壊的な存在としての人類の問題が、解決できるということを明示しています。時間の法則を分析すると、非常に差し迫った、さらには深い必然性さえあるのです。改革は不十分なばかりでなく、不可能なのです。もしここ10年以内に暦が替えられなければ、私たちのいうところの文明は終わるでしょう。もう一度、暦改革の問題に世間の関心を集めるという、真の道理に適った必要性があるのです。皮肉なことに初期の改暦運動はもっとエリート主義的で、銀行家や科学者、改革理想主義者の問題でした。新しい時間のためのキャンペーンは、改暦をすべきだと認識している人々の、民衆運動なのです。しない場合の分析をし、また可能な限り時間の法則を教え込んだいろいろな機械や科学研究方法を備えれば、新しい時間のためのキャンペーンは、同時に総合的な改正や改革を引き起こします。過去40年の出来事を見れば、そのような改革の動きによる人類の統合や世界平和はキャンペーンがきっかけだとさらに深く理解するでしょう。
IV.時間の法則-私達の時間の本質についての理解を改革する。
「私たちはモーゼを目覚めさせた。しもべたちよ、海を渡り乾いた小道へ漕ぎ出せ。恐れるものはない、心配するものもない。」
「ファラオが軍隊で攻めた、しかし、海が彼らを守り、導いた。」聖なるコーラン20:77-78
ひと月28日の13の月の暦は、12:60という混沌の海を渡るための乾いた小道です。確かに続くこの小道は、今のままでも必至であり、「ファラオ軍は制圧されるであろう」、真実は昔から普及するもので、偽りを暴露させる時、偽りは朽ち果てるのです。グレゴリオ暦で取り上げられている12:60の周波数は、人工的で誤った時間の認識です。ファラオ軍は、グレゴリオ暦の人工的な構造に埋め込まれ、地球が数世紀間にわたって無責任に略奪されたことに呼応して、自然そのものが放つ猛威が制圧され、それに打ち勝つことを運命づける、人類の科学技術的行動力のことなのです。ひと月28日の13の月の暦の乾いた小道は、グレゴリオ暦文明の12:60の母体で縛られている人間の存在を特徴づける、永久に大きくなる混沌の海を去るための、人類すべてにとって、唯一渡るに足る小道なのです。
もし、時間計算全てにおいて、真実が求められ、太陽年で作った測定器具で計算するのであれば、セシウム時計はグレゴリオ暦を的外れなものにします。人びとはまだグレゴリオ暦に固執し、暦を替えることに抵抗すらします。それなら、太陽年で作った正確な測定器具を持っているかどうかにかかわらず、私たちには暦が必要でしょうか? 答えが「はい」であれば、暦は正確な尺度であり、さらに、他の目的にもかなわなければなりません。そういう状況であれば、不調和というより、むしろ秩序が調和している世界的な文明暦から恩恵を受けるのではないでしょうか? それでも私たちはグレゴリオ暦に執着します。なぜでしょうか? 絶え間ない不規則性が、不断の目新しさとエンターテインメントを約束してくれるからでしょうか? しかし、どれだけ代償を払っていることでしょう? 不調和な基準が不調和を作り出す一方、調和した基準が調和を作り出すということが分かっているとしても、まだ暦を替える気がないのです。 なぜでしょう? 手をつけられないほどに生物圏の悪化に拍車がかかり、人類が他の種とは違って、自らの加速度的計時周波数を固守し、人類だけが生物圏の破壊の原因であるから、そのうちに何か手を打たなければならないことを承知したとしても・・、そう、この一連の論理を理解したとしても、改暦がシステム全体の混乱を解決に導く方法の第一歩として提供されても、まだこの一歩を拒むのですか? もしそうなら、なぜでしょうか?
グレゴリオ暦は本質的に、システムとしては非常に自己防衛的で複雑に入り組んでおり、地球文明の機能や作用の全てにおいて、動きが取れないほど互いにかみ合っているので、改革することはできません。取り替える事だけができるのです。もしバチカンの世俗的な権力が縮小し、ローマ法王が名前だけの頭首であり、ただ一つの手段である暦を通じて、必死に権力にしがみついている旧式な秩序の偶像にすぎないことが明らかになったらどうなるでしょう? カトリック教徒は世界のたった六分の一で、キリスト教徒全体でも三分の一しかいません。なぜ数学的に欠陥があり、生物学的にも不規則なあるひとつの宗教の暦の尺度が、地球上の残りの人もみな支配しなければならないのでしょうか?そうです、ただ一つの解決策は、この暦を完全に排除すること、気紛れな無秩序と人知を弱らせるような影響もろともに、思い切ってグレゴリオ暦を排除し、その代りに、非常に新しい、調和的で規則的な基準を使うことです。その違いはすぐにわかるでしょう。
以前の改暦運動の失敗や、ここ40年間の世界の出来事を考慮に入れることで、このように遠慮なく言うことができるのです。今まで改暦が行われなかった理由も知っています。バチカンと同様に世界の権力体制であるG7の道具だからです。 デイヴィッド・E・ ダンカン著の『暦をつくった人々』のような本は、「正確な一年を決めるための人類の勇壮な闘い」の客観的な歴史を装う一方、世界の権力エリートが日常の時間への支配を維持する手段であるグレゴリオ暦を、教養豊かに上品に宣伝する一編に過ぎません。世界を止めるために時間を止めなければならないのなら、止めましょう、例え一日でも。暦を替える事によって歴史を全て変えましょう。自然の秩序とシンクロする、極めて明らかな調和に換えましょう。今度はしり込みしてはいけませんよ。
改暦の後押しをするのは時間の法則そのものです。時間の法則は時間の本質そして必然的に社会組織についての理解を改革します。もっと基本的には、時間の法則は数学的に調和的で正確な、道徳的枠組の範囲内で科学を再建します。真の科学と真の道徳は連動します。時間についての全く新しい定義と知覚・・・時間は周波数である・・を示しながら、時間の法則は古い科学の本質的で大規模な批判もしています。
既に証明された論理を用いて、計測手段が私たちの知覚に影響する基準を作り出すといえるかもしれません。計測手段が不規則で不揃いな計測単位を使用していれば、私たちの知覚は不規則な計測基準に固有な欠陥の徴候を持つでしょう。グレゴリオ暦の欠点についての最も基本的で根本的な批判を要約します。科学とは、科学者と呼ばれる人々によってなされた貢献の倉庫の総称です。科学を築き上げる科学者の心が無意識に疑問ももたずにグレゴリオ暦の不規則な尺度に組み込まれていたら、そのような心が生み出した科学に何が期待できるのでしょうか? その方法、遂行、目標における不均衡、不平等、不規則さを反映しないのでしょうか? 実際、今日の科学の目標とは何でしょう? グレゴリオ暦そのものの源と歴史に根付く、飽くなき時間の帝国主義に動かされた、G7の権力エリートの社会経済的な秩序と切り離せないのではないでしょうか?
これも皮肉なことですが、グレゴリオ暦は、思うにカトリック教会の信仰的な秩序の道具で、かくも深遠で破壊的な唯物論的科学である不規則な母体から発生したのです。しかし、暦によって作られた固有の混乱した時間認識を説明するために、何百年も修道士がアルゴリズム計算法と機械時計をいじくりまわした後だけに、仕方がありません。グレゴリオ暦への改暦後に確立されたのは、科学者が分析的な時間の削減を、どんな自然の感受性からも切り離して、自然界に適用する母体でした。ユリウス-グレゴリウス時代の帝国主義は、自然界を支配する唯物主義的-資本主義的な帝国主義へ、容易に変わりました。今やその支配は、搾取するための新たな物的資源を求めて、人間のロケットが火星や他のどこかへと打ち上げられるように、宇宙空間そのものにまで及んでいます。
現代の科学体系に何らかの道徳があると言えなくもありません。道徳は基準に基づいています。実際、グレゴリオ暦の不規則な計測単位は、無意識に曲がった基準に心を歪めることで、真の道徳、真の正義感、真の平等を抑制するしかありません。この理由だけでも、地球文明、もっと正確に言えば グレゴリオ文明は、道徳の破滅と破綻の運命にあります。法王の世界の道徳や正義に対する祈りはすべて、共同体制であるバチカンが止めるのを拒んでいる暦によって否定されます。このことを全て考慮して、時間の法則は新しい科学、共時的時間秩序の科学の基礎を提供します。
科学は全て、その歴史の始めから終わりまで、前段階の仮定や制限の両方に根拠を置く、進化的な進歩に基づいています。私たちは今そういった発展的な瞬間にいます。暦を替えるという問題は、新しい完全な体系的科学的秩序の出現の出発点でしかありません。現在の純粋に物質主義的な科学体系に組み込まれている欠点を理解し、共時的秩序の科学の確立へ進みます。13の月の暦はそれ自体、徹底的な単純さや永続する調和のように、共時的秩序の科学は同様に徹底的に数学的な基盤に根拠を置き、13:20の普遍的な計時周波数自体に組み込まれています。
素晴らしい普遍的な時間の秩序に関係し、提示される時間の法則の共時的秩序の進化的科学の現れは、運命によって定められている進化的な時間の公表に根拠を置いています。1987年から2012年までの25年間はその周期の終わりとなります。12:60の混乱という地球規模の絶対的支配の中に完全に浸っていたため、1987年には、共時的秩序への最初の預言的な目覚めが生まれました。2年後の1989年には、12:60の人工的な計時周波数と、普遍的な同期化の周波数である13:20の自然の計時周波数という科学的発見によって、この預言的な目覚めが強化されました。この発見をもって、時間の同期的性質の客観的な理解が初めて始まりました。現代科学を支配する単に直線的な時間の概念とは対照的です。この発見の最初の直接的な推論はグレゴリオ暦という間違った基準を、1年13ヶ月、ひと月28日と計算する、厳密に規則的な基準に置き替える必要性でした。1年13ヶ月、ひと月28日の計算の復活に付随する、四次元の放射状の数学的プログラム、惑星間の共時的秩序の宇宙論、ドリームスペル、時間船地球号2013の旅。これで時間の法則の発見の第1段階が完了しました。
1992-93年までに、数学的そして宇宙論的に、1年13ヶ月ひと月28日の暦とシンクロしている13:20の周波数をコード化することにより、タイムシフトが始まりました-13:20の計時周波数への回帰のために人間の意識を使うということです。時間の法則の完全な発見は、進化的必然性によって強く求められた推進力であり、宇宙の無意識から作られる必要がある、原型的な力の噴出で、共時的秩序を拡大するための次なる変化は、パカル・ヴォタン、テレクトノン、『地球霊の通話管』の預言の啓示でした。1952年6月15日、白い惑星の鏡の日に、パレンケにあるマヤの預言者の墓を発見することに導いたのは、碑文のある寺院の頂上の、瓦でできた通話管だったのです。しかし、1993年になってようやく計時周波数の発見を断言する、その墓の日付を符号化したものが発見されました。西暦692年に墓が奉納されてから、1952年に発見までの1260年間、人間の魂は12:60の物質主義の中へ追放されていたのです。マヤの長期計算法での13バクトゥンが閉じる2012年まで-最も正確だと知られている年代学的尺度で計ると=1320年間、普遍的な13:20の計時周波数の中で人間の魂の復活を意味するのです。この預言の符号化には20世紀における改暦への二度目の試み、すなわち、13の月の暦に替える世界平和運動を引き起こす勢いがありました。そして1993-2000年の預言の7年として知られる周期を伴っています。
V. 13の月の暦に替える世界平和運動と時間の法則の発見
変容の時間位相の要約
暦を替える平和の運動が地球上で喚起される7年周期の間、時間の法則は、その様々な側面と特色を明確に表現し、共時的秩序はそのシステム全体の豊かさを規定しました。これは、時間の法則の数学的、宇宙論的、神学的、そして科学的に詳述している、多数の出版物と共に、鍵となるイベントを通じて起こりました。共時的秩序の基準により、時間位相幾何学として定義される、時間の地理学を説明する、放射状の時間の配置にポイントをおいてイベント全てを作ったのです。哲学者であり数学者でもあった故Charles Museは、時間の法則が今や時間位相幾何学と定義する、本当の時間を明らかにする分野にぴったりの用語を作り出しました。以下の時間位相幾何学の結論-詳細な時間配置上の結果概要-は、時間の法則の意識的な出現と調音を定義します。
1993年 (〜進行中) 毎年恒例、世界的な、「時間をはずした日」のお祝い
1994年 「惑星規模の道徳的な緊急事態」 と「世界規模の13の月の暦に変える平和の計画」の開始
1995年 「惑星平和の新しい時間のための80日間世界一周」 チリ-南アフリカ-エジプト-ロシア-インド-香港-日本-ハワイ-国連-メキシコ-チリ
1995年 オハイオ州Serpent Mound 時間をはずした日 暦を燃やして自然の時間への回帰の儀式
1996年 「はじめての生物圏の権利の惑星集会」ブラジル ブラジリア市
1996年 Biospheric Awareness Day(生物圏の気づきの日?) 日本、御殿場
1996年 「境界溶解の儀式」米国、フォーコーナーズ
1996年 「ハーモニック・コンバージェンス」メキシコシティ 続いて「平和の行進」 ティオティワカン
1996年 国連 「惑星規模の道徳的な緊急事態のアピール」
1997年「審判の日の法廷」「時間の法則に関する世界会議」日本、東京
1997年 (〜進行中)ブラジル 7月25日 時間をはずした日を公的な「平和と文化の日」にする運動、平和の旗の承認に基づいて(今のところ70市)
1998年 「13の月の暦に替える平和の任務」 バチカン、ローマ、イタリア
1998年 特別な任務 グアテマラへ キチェ・マヤの長老たちに会う
1998年 イタリア ミラノ 平和の神学のためのウル評議会
1999年 「平和と時間に関する世界サミット」コスタリカ、引続き特使を国連とバチカンに派遣
1999年 (〜進行中)日本で、「時間をはずした日」を宣言する運動「時間をはずした日の祭り」100以上の行事が毎年行われる
1999年「平和の行進」メキシコ、ティオティワカン
1999年 チリ、Picarquin「7週間の地球の魔法使いの学校」
1999年-2000年(〜進行中)南米で、”La Karavana,”13の月の教育キャラバンの開始とヨーロッパ、英国、北米で「新しい時間キャラバン」
2000年 「7日間の地球の魔法使いの学校」の始動。 日本、米国、イタリア、ロシア、南米
2000年 「地球の極に虹の橋をかける実験」第1段階 世界中で
2000年 「時間の法則のための基金」の設立 オレゴン
2001年 「新しい時間のキャンペーン」の開始 ブラジル、アルゼンチン、日本、アルタイ
2001年 「新しい時間PAN13の月のリーダーシップ会議」のキャンペーン オレゴン
2001年 7日間特別「世界平和と時間 地球の魔法使いの学校」コロンビア、メディン
時間の法則の発見、T(E) = Art、1996年
四次元の数学原理、1996年
時間の法則の20の銘板、16年間のテレクトノン、法則の立方体、1997年
時間の法則の世界会議と裁きの日の審判、1997年
平和と時間についての世界サミット、1999年
7:7::7:7、テレクトノンの啓示とプラズマ宇宙モデル、1998-2000年
虹の橋プロジェクト:時間の法則についての28の瞑想、1999-2000年
以下数ページ翻訳中
時間は四次元です。13:20に基づく四次元時間のマトリクスこそ共時性を司るフィルタであり、私達はそれを通じて、あるいはその内部において、時間ベクトルの持つ可能性を見極め、発見し、そして活用しているのです。13:20の計時周波数マトリクスと調和した、1年13ヶ月1ヶ月28日という計算法を使用する目的は、一般的に天球の音楽 (celestial harmonics) として知られるプログラムに自らを「時計合わせ」することにより、時間ベクトルの持つ様々な可能性を自覚し、さらに活用することにあります。天球の音楽は多彩な構造を持っており、それはまさに方程式 T(E) = Art に基づくアプリケーションの多様性と符合しています。これらの数々のアプリケーションは、四次元時間のツールとして実現されたものであり、13の月の暦、ドリームスペル、テレクトノン、および「時間の力学の260の基礎条件」などがありますが、これらに限定されるわけではありません。
13:20の四次元計時周波数と調和した宇宙とは、その全体が銀河脳 (galactic brain) として知られる知性のフィールドであると言えます。それは、個々の存在の中に、さらに全体としての存在の中に、神の手によりあつらえられ、形作られた、ホログラフィックに自らを生み出す宇宙心 (universal thought) の最小単位としての銀河的存在に他なりません。空間という水平的な側面から眺めれば、銀河脳は本能と呼ばれる三次元領域と、より高度なテレパシーの四次元領域とに区別できます。未発の可能性の領域である三次元が本能という存在により特徴付けられているのに対して、時間の領域である四次元は、テレパシーにより特徴付けられています。言い換えれば、本能とは無意識のテレパシーであり、テレパシーとは意識化された本能であるということです。また、時間という垂直的な側面から見れば、銀河脳は、始源的な生命以前および生命以後として表わされる状態と、二次的な有機体および超有機体生命とに区別できます。意識という時間の進化の動きにより、宇宙の周期が描かれるのです。本能はその最初のステージにおいて、前有機体の領域を形成します。つまり、そこは有機体領域における本能の無意識的位相であると言えます。意識とは、高次な生命形態によりある瞬間、刹那的にもたらされる特質なのですが、通常は宇宙的無意識として知られる状態の中で、休眠しているものなのです。
有機体と超有機体、そして宇宙的無意識と宇宙意識との間に横たわる深淵。それは、時間の法則により見出されたものです。この発見と時を同じくして、12:60文明として知られる、生物圏を貪り尽す現象としての宇宙的無意識もまた、そのクライマックスを迎えました。時間というシステム全体の機能不全を修正するには、間違った計時周波数から、時間の法則の実際的な応用である、13の月の暦により取り戻される四次元の共時的秩序へと、意識的に自らを解き放つ必要があります。時間の法則の発見とは、12:60の計時法自体に内在する危機と混乱の中から必然的に生じてきた、疑いようのない進化論的必然性なのです。もしそれが事実であるとすれば、次のような問いが発せられても不思議ではありません。”なぜ、こんなことが起こる必要があったのか?我々が時間に対する歪んだ感性を持ち、存在の自己破滅的状況へと進化してきたことに、どんな理由があるのだろう?”この問いに答えるには、時間の法則の理論体系に触れないわけにはいきません。
歴史の波動調波としての13バクトゥン周期 (図3)
共時性を担う普遍的周波数の根基である、13:20のフラクタル比に基づくアプリケーションもまた、やはり同じように普遍的存在となります。ツォルキン、すなわち聖なる、自己反復的な260日(260キン)による計算法は、歴史という偉大なる周期に関するマヤの長期計算法の基礎となっています。長期計算法は見かけ上は、BC 3113年8月13日からAD2012年12月21日までの間の日数を計算する、純粋に年代史的な現象に過ぎません。しかし、その日数計算は、四次元の13:20マトリクスにより支配され、再現されたものでもあるのです。1,872,000キン(日)という長期計算は、バクトゥンと呼ばれる13の主要な下位周期により構成されており、それぞれのバクトゥンは144,000日(キン)で構成されています。また、バクトゥンはさらに20の小さなカトゥンと呼ばれる下位周期に分割され、それぞれのカトゥンは7200日(キン)で構成されています。つまり、7200回の260日周期により全13バクトゥンが構成されているという意味になります。13のバクトゥン、そして20のカトゥンにより、260単位からなる四次元の計時マトリクスによる完全なるフラクタル構造が、まさに歴史という年代史の中で再現されているのです。それぞれのカトゥンにより、260キンのいずれかが表現されているわけです。さらにバクトゥンとは、波動の集合体(形態形成場:morphogenetic fields)であり、13番目の周期であり最後のバクトゥンである AD 1618年から2012年で表わされる期間において、そこに至るまでの20の波動はピッチを上げながら、ついにクライマックスを迎えることになります。
かつてマヤの長期計算法の存在が知られていた時期もありましたが、その偉大なる周期が歴史の波動調波、つまりフラクタルなモジュラー形態として理解されることが世に知られるようになったのは、ようやく1987年になってからのことでした。この見まごうことのない構造の中では、偉大なる周期とは、まさに本物の時間の地図であり、また正確無比かつ明確な「始まり」と同じく正確な「終わり」を持つ存在としての歴史が定義された、年代史であることが明らかになりました。よく指摘されている問題ですが、マヤ文明がわずかに10バクトゥン、つまり長期計算法で言う 9.0.0.0.-10.0.0.0 (AD 435年-830年) という期間においてのみ興隆していたとするならば、どうして3千年も前にその起源を持つ歴史の計算法を考案したのでしょうか?さらに、恐ろしいことに、なぜ暦が2012年で”終わり”にされているのでしょう?
13バクトゥンの始まり、すなわちBC 3113年8月13日、4・アハウ、13.0.0.0.0 という日付は正確かつ的確であり、私達は容易にその日を歴史の始まりとして受け入れることができます。最初のエジプト王朝はおよそBC 3100年に誕生しました。また、最初の”都市”であるウルクがメソポタミアに現れたのがおよそBC 3100年。ヒンズー教で言うカリ・ユガ(暗黒の時代)が始まったとされるのが BC 3102年。さらに、最も興味深い事実として、シュメール文明において、時間が60分が24時間、1分が60秒に分割されたのがやはり BC 3100年あたりでした。歴史の始まりがこれほど正確に定義されているのであれば、歴史の終わり、つまり 2012年12月21日という日付が正確でないなどと言うことができるでしょうか?もちろん、これこそ David Ewing Duncanのカレンダーが2012年、”マヤの偉大なる周期の終わり”という期限により締めくくられている理由なのです。しかし、なぜマヤ人たちはこれらの全てを知っていたのでしょう?そして、「歴史が終わる」とはいかなる意味を持っているのでしょうか?
マヤ人はこれをすべて知っていました。それらは、それらの文明が破壊されるだろうと知っていました。彼らは、ロングカウントを守るデイキーパーでさえ、それ以上の何もすることができないだろうと知っていました。したがって、預言それ自身を確立しなければなりませんでした、時間の法則の預言を。この方法でのみ、サイクルの終わりに、誤り(人工的な12:60の計時周波数)を、真実(13:20の計時周波数)から区別する基準を有らしめることができるだろう。これは、最も偉大なマヤの預言者にして王、すべてのマヤの予言の最も大きなもの、時間それ自身の預言を備えた彼の墓を建造しコード化したパカル・ヴォタン(PacalVotan)のミッションでした。時間の科学の共時的な秩序の発見、時間の真実の新しい分配は、時間の法則とテレクトノンの内にコード化されます。
新しい時間のためのキャンペーン (図番 4)
13番目のバクトゥン・サイクル(AD 1618-2012)を調べることによって、私たちは、12:60の人工計時周波数が、世界支配において、どのような経緯をたどって来たかを明瞭に知っています。12:60科学の革命を確立し、かつ産業革命を生成するために最終のバクトゥン・サイクルの20 カトゥンのうちの7が費やされ、全体の260 カトゥンの内の最終の13のカトゥンにいる間に、現代の全体的複合体、あるいはより正確に、ローマ教皇グレゴリウスのグローバル文明は発生しました。12:60計時周波数の完全な支配の下で、人類が指数関数的な爆発、テクノスフィアの生成、および生物圏の征服と破壊を経験したのは最終の13のカトゥンです。1750年の5億の人口から、人類はたった250年間に12倍の60億以上に増加しました。2012年になる前に、現在の割合では、さらに10億人が増加するでしょう。私たちが2012年として知られる時間のレンガ壁に急速に接近する、これは何を意味するのでしょう。
大きなサイクル(Great Cycle)の目的は、「判決の日」の瞬間を指摘し定義することです、ローマ教皇グレゴリウスの文明の黙示と人工的な12:60の時間の秩序の終了を。金銭に推進された、人とマシンの指数関数的な増加、最終カトゥン(1993-2012)までに、私たちが急速に飽和点に接近していることは、とんでもなく明白です。歴史の時間位相的(chronotopological)な池はいっぱいになり、他に行くところはどこにもありません。惑星を12:60テクノスフィアの形で包む人間の考え、それ以外の方法では開けられないコンテナに、預言だけが穴をあけることができます。時間の性質の高度な知識と時間の科学の開発によって、マヤ人だけが、時間のなかのエラーを決定する基準を確立する預言、従って、判決の日が到着したことを理解するための預言を前もって設定することができました。人間の文明をすべて管理
し、自然とは離れて存在させる12:60の計時周波数と、自然の全体を管理する13:20の普遍的な計時周波数、その間の区別が基準なのだから。預言はさらに前もって、普遍的な計時周波数に返る決定を下すツールとして13の月-28日間のカレンダーを設定します。預言は言う、この決断によってのみ、人類は破壊を回避し、正義の報酬の利益を獲得するでしょう。黙示の「終わりの時」の後–すなわち12:60時間の終了の後に。
テレクトノン(時間の預言)は、最終のカトゥン–13 アハウ–歴史のサイクルの260カトゥンの第260番目のカトゥンの最初の年に解読されました。この預言は、預言の7年(1993-2000)の7年の時間位相(chronotopology)を定義しました、あるいは時間の新しい分配の期間(黄色い磁気の種の年から白い共振の魔法使いの年)を。この7年のサイクルの目的は、間に合うように誤りを人類に警報し、グレゴリオ暦を13の月28日間の暦に取り替えて、カレンダーを変更する機会と必要に役立たせることでした。預言の7年間でなされた努力は、時間の法則の明確な表現と人間の気づきのグローバル苗床の生成、そして更に惑星芸術ネットワーク(PAN)として知られる新しい時間に続くことに帰着しました。こうしてその苗床は、13の月の暦に替える平和の運動の次のフェーズ、および時間の法則の適用、新しい時間のキャンペーン、のために準備されました。
決定的な4つのサイクル、青い銀河の嵐の年から白いスペクトルの魔法使いの年(2000-2004)は、2つの7年の時間位相、預言の7年(1993-2000)と石の神秘の7年(2004-2011)、の間に生じます。最初の7年の時間位相が発表する予定だったのは、12:60のグレゴリオ暦の文明の避けられない死去であるが、第2は13:20時間で蘇生を確立することです。その2つの間の「痛ましい時間の地獄」、4年間の新しい時間のキャンペーンです。新しい時間のキャンペーンの目的は、これまでのすべての改暦推進者の作品、労働およびゴールのまさに完成、グレゴリオ暦の13の月28日の標準への置換です。今回、これは決定的です。考慮すべきただ一つのカレンダーは13の月28日のカレンダーです。7年の試用期間(1993-2000)にテストされ、共時的な時間の完全なツールとして確立された。他のすべての世界中のカレンダーの完全な同期媒体としての提供と受容により、その主要な目的は世界標準としてグレゴリオ暦に取ってかわることです。
歴史のサイクルの終わる時2012年、そのサイクルが閉じられる前に、時間における変化が起こらなければならないということも、また明白です。時間の法則財団を通じて設立された新しい時間のキャンペーンは、2004年までに、絶対的に必要な時間における変化を引き起こし、惑星規模の意識を高めてゆくために必要な、すべての情報と戦略を整えることを意図しています。2005年では遅過ぎるのです。キャンペーンを実行に移すには、内側と外側、二つのレベルの活動があります。外側のレベルは、平和の旗のもとに展開される世界中のPANノーズを通して、新しい時間の伝道者、13の月の暦に変える平和の活動のメンバー達の活動を呼び掛けます。これらの新しい時間の伝道者達には、「時間は芸術なりキャラバン」の創出や、世界中の全ての文化やスピリチュアルな伝統で繋がれている、あらゆる類似のグループや組織の統一や同盟の確立、一般的なものから外交的なものまでを含む、様々な種類の教育的戦略を通して、その意識を高めてゆくことを遂行する責任があります。この地球規模の「平和の力とシンクロする」活動は、あらゆる外的なメディアを通した警告や、改暦要請の国民人気投票などといったのもにより、2004年7月25日から26日に頂点に達するでしょう。外側のレベルの活動を補う新しい時間のキャンペーンの内側のレベルは、共時性秩序の原理の具現化と、新たな変革をもたらす時間調和の惑星文化を明示のために、時間の法則の精励に全力で取り組む個人やグループによって成り立っています。この文化的な変革をもたらためのすテレパシー的ー共時的なプログラムは、すでに時間の法則を通して確立され、そしてそれを実践する人々の数は世界中で増加しています。2004年から5年にかけての究極のゴールは、世界の平和の元、生きた科学実験の運営ともいうべき、自然時間のコミュニティの創造でしょう。
このキャンペーンのゴールは、2004年7月25日の時間をはずした日(白いスペクトルの鏡)と、その翌日、太陽の銀河年の初日(青い水晶の嵐)までに、改暦を完全に確立し、そしてそれを祝う事です。これは、13の月・28日の暦が新しい地球の文明の規準として使われるという、偉大な変革のための試行の年となるでしょう。
2005年の終わりの時間をはずした日(青い水晶の夜)には、地上の平和、新しい時間における普遍的な許しを、世界は盛大にお祝いするでしょう。混沌の時間から、宇宙の調和の時間の出現という変革が起るでしょう。そして、古い時間に戻りたいなんてイメージするのさえ難しくなるでしょう。聖なる地球、聖なる秩序、聖なる時間。惑星地球の人々の暮らしに新たな意味付けがなされます。第二の創造の神秘の回帰は、地上の平和の文明として真実であり実現可能となるでしょう。新たなヒーローの時代の夜明けです。生物圏ー半球、その選択:死生圏(Necrosphere) か 精神圏か(グラフィック5)時間の法則は、生物圏とシステム全体としての地球の現実の中に、完全に種巻かれています。
生物圏は、普遍的な13:20という計時周波数によって、統一の取れた単一体として、癒合、統治、同期(synchronized)され、有機的・無機的な構成要素と周期等からなる生命の総計における、一つの全体性としての仕組みです。
12:60という人工的な計時周波数による運営と、人類という種族とを同一視してみると、これこそが、人類種を他の自然界から引き離し、異質なものとしている原因である事がわかります。しかし、時間の法則は人類種が必然的にその中に統合されなくてはならない、一つの全体性の仕組みとしての生物圏を定義しています。3次元を内包し統治している4次元の、至高の統治の法則である時間の法則は、一つの自己進化する全体性の中に、自然界と人類種と意識とを統一するホロノミック的な原理を示す、一つの全体性としての仕組みです。ホロノミックな一貫性は、生物圏の全体性と構成要素の中に、形や組織の秩序があることを認識します。「全体は部分に存在します。全体から部分まで、全ての部分は神聖です。」 生命とそれを支えるシステムの薄い膜は、地球の表面に196,940,000平方マイルに渡って広がっています。そして地球の表面の、1億3900万平方マイルが海で、5700万平方マイルが陸地です。この5700万平方マイルの陸地は、西側半分の南北アメリカ大陸と、東側半分の、アフリカユーラシア大陸、オーストラリアとそれに隣接した島大陸の、二つの主要な部分に分けられます。南北の二つの極は、二つの半球、北半球と南半球を確立し、またこれらは、北極の海、南極の大陸などの相補性も示しています。
しかしそうであっても、一つの生物圏、一つの電磁場、一つの重力場・・・全ては一つです。全ては、一つの地球、一つの人々として、時間の法則によって同期化し(synchronized)、一つにまとめられているのです。ちょうど地球が、西&東、北&南の、その半球同士が相補性を持つ単一体であるように、ホロノミックな相互関係として、人類種(と全て脳を持つ生き物)の脳は、二つの半球から成り立っています。そして、ちょっと独断的ながら、丁度私達が作り出している、東洋的思考・西洋的思考と呼ばれる地球規模の文化の違いや、叉は、裕福な北半球・貧しい南半球、といったような経済的格差の様に、脳も自らその二分化的な要素を保持しています。確かに、二重の潜在的な要素、半球ごとの文化的相違や経済格差の存在は、まず第一に、脳の二分化的な要素に起因しているかも知れません。ですから、分極化する事は人類種の脳の先天的な傾向であり、二重の隔たりを作るのは12:60の計時周波数の傾向で、それは元々のその働きに負うものです。
人間だけが、自然から離れ、自然よりも秀でていると考えています。その傾向はどこから来るのでしょう?原罪からの自負心でしょうか?二重の傾向はどこから来たかを定義するなら、それは普遍的な計時周波数から離れた人工的な形時周波数の完璧な侵入により、制度化され増強されると言う事が出来ます。12:60の計時周波数は、本質的に同期せず(dysyncrhonous)二つに分け、13:20の計時周波数は、本質的に同期し(シンクロし)一つにまとめます。もし、まるで第二の本質であるかの様な固く制度化された二重性という隔たりがあるとしたら、それを作ったのは、12ヶ月のグレゴリオ暦と12の目盛りの機械(デジタル、原子)時計の両方で増強される12:60という計時周波数です。全ての機械仕掛による時間と産業と貨幣による文明が人間の脳に埋め込まれ、暦と非人間的で機械的に絶え間無く動く時計という不規則な物差により、分かち難く一つとして束ねられています。
不規則な暦によって行われた時間の機械化は、取り替えることが出来ないという考えの元に脳に埋め込まれています。例えば課税や政府、そして変更できないという傾向、技術やグローバリゼーションなどが、人類と、全てを消費する黙示録的な結末へ向かう生活の全てを動かしています。生物圏の原則理論家であるウラジミール・ヴェルナツキーや、同じくピエール・テイハード・ディ・シャーディン達によれば、このような人間と機械の発展と広がり、つまり12:60の技術圏がこの惑星において最高潮を迎えている事は、生物圏から精神圏への、より大きな変化のプロセスにおける、必要不可欠な部分です。ちょうど生物圏が生命の範囲を意味する様に、精神圏は心の範囲を意味します。この事は、物質面が元となる感覚から、精神面が元となる感覚への進化をただ示しています。生物圏から精神圏への 変化の理論が明らかにしていない事柄は、この変化がどのように起るのかという事であり、危機が起という事を示しているのではありません。12:60の技術圏は、この変化に向かっての危機を生じさせる、中間の人工的な構造をなしています。
この危機とは、他の多くの生物種の絶滅や崩壊、叉は生物圏と惑星地球を形成する様々な周期の混乱です。時間の法則は、「技術圏は、自然な計時周波数から人間を引き離し、人類の文明全てに、その人工的な計時周波数を浸透させる働きがある」という分析を提供します。例えば、イスラムか、あるいは他の国において、国際社会に合わせるためにだけグレゴリオ暦を採用するとします。しかし、民衆の間には、時計によって計られる時間の機械化が浸透して行きます。こうやって、偽物の時間の浸透が全てとなります。これが、どのように変化が起こるかを説明するための、ベルナスキーやテイハード・デ・シャーディンにも知られていない、計時周波数についての分析です。時間の法則の発見は、そこには選択があり、そしてその選択は人間の意識を上昇させる行為であると言います。その選択はシンプルです。世界の標準として、グレゴレオ暦の不調和を選ぶか、それとも13の月・28日の暦の調和を選ぶかというだけです。もし、私たちが相変わらずグレゴリオ暦を使い続け、暦の掛け換えに抵抗するなら、最終的には死生圏(necrosphere)、惑星には死の場が形成されるでしょう。
地球は、火星の様に死んだ惑星になるのでしょうか?あるいはもっと悪くすると、アストロイド・ベルト状に粉々に破壊された、マルデクの様な惑星になるのでしょうか?あるいは、もし私達が13の月の暦を選択するならば、私達は精神圏へと入って行くのでしょうか?人類種の再統合による生活のリニューアル、自然の計時周波数や生物圏の全体性の中へと入って行くのでしょうか?この選択は私達のものです。そしてこの選択は進化の選択です。もし私達が13の月の暦を選択すれば、人類種は女性の生物学的なサイクルの28日サイクルで営まれるでしょう。私達は、私達の日々の生活を普遍的な暦に合わせて毎日暮らすでしょう。そしてそれは、普遍的な13:20の計時周波数の特性である、テレパシーの基準へと心を解放するでしょう。私達は、この暦が、以前は知られずにいた数学的な調和によって、世界中の月による暦や、その他の暦と同期している(synchronizes)事がわかるでしょう。そして私達は、今までとは全く違う意識の状態へと解放され、本質的に、テクノロジーは物質的というよりも精神的なものであるということに気がつくでしょう。人間の生活における新しい共時的な秩序は、惑星を一つにまとめるでしょう。そして、それが精神圏の開花をもたらすのです。
これは13の月の暦が、平和の13か月と呼ばれる理由です。T(E) = Art、時間は芸術である、という公式が日々の生活に開花します。このT、時間は13の月の暦で、それは(E)人間全てのエネルギーを同期させ(synchronizes)、結果として原初の、しかし、完全に意識的で平和な原初の状態へと導きます。新しい時間のキャンペーンをイメージしてください。(グラフィック6)?
1980年12月8日 、著名なアーチストであり歌手である、ジョン・レノンが暗殺されました。しかし彼の業績は滅びてはいません。彼の残した”イマジン”は、その驚くべきシンプルさと過激なビジョンで際立ったものとなっています。”Imagine all the people living for today …” summarizes the vision of the Thirteen Moon calendar change and the universal synchronization in time augured by the celebration of the annual day out of time. 「イメージしてごらん、今日のために生きるすべての人々を」 ・・・この歌詞は、13の月に変える平和の活動と、毎年の時間をはずした日にお祝いされる、時間の普遍的な共時性のヴィジョンを要約しています。
新しい時間のためのキャンペーンをイメージしましょう。時間の法則は言います。人としての兄弟愛から私達を遠避け、超える事の出来ないかのような不平等さや分離、金持ちと貧乏人、貪欲さや飢餓等を私達の中に浸透させているのは、2千年に渡って不規則なグレゴリオージュリアン暦に植え付けられてきた信念体系です。この暦(グレゴリオ暦)のつくり出すものは、国境や金銭や戦争などの分離です。”イメージしよう、国の違いなんて無いんだと。何かのために殺したり、死んだりすることも無いんだと……”。時間の法則は断言します。鳥はパスポート無しで飛ぶし、イルカは銀行口座無しで泳ぎます。蟻は携帯電話を持たずに暮らしているし、生物圏の全てのサイクルに国境はありません。さらに一層深く私達をバラバラにし、自然の秩序から分離させているのは、金銭と銃によって守られている国境です。新しい時間のキャンペーンは、暦を変えることが出来るとイメージしてごらん、と私達に訴えかけます。私達人類は月に到達できたのだから、カレンダーだって変えられます。私達がカレンダーを変えられるなら、考え方だって変えられます。そして私達が考え方を変えられるなら、”すべての人々が平和に暮らすことをイメージすることだってできます。
4月や5月や6月、あるいは10月なんて、もう無いんだ、とイメージしてください。死の工場なんて無い、とイメージしてください。政府なんてもう無い、とイメージしてください。そして、テレパシーによる生き方をイメージするのです。新しい時間の基準があることをイメージし、それを私達は手足の指で学んでいるとイメージしてください。13:20の母体が、私たちの身近にたくさんあるとイメージしてください。すべての人々が自然の時間で暮らすのをイメージしてください。”……すべての人々が世界を分かち合っているのをイメージしてください。”時は金なりの世界ではなく、時間は芸術なり……そんな世界をイメージするのです。時間の法則の共時性秩序によると、ジョン・レノンの誕生日、1940年10月9日に基づく彼の銀河の署名は、白い惑星の魔法使い、キン114で、彼の40回目の誕生日、1980年10月9日は、白いスぺクトルの魔法使い、キン154でした。彼が射殺されたのは、1980年12月8日、白い律動の魔法使い、キン214でした。時間の法則の共時的な秩序によって、この魔法使いの物語は更に深い意味を持ちます。魔法使いの物語、彼の預言的な歌は、「あなたは”私のことを夢想家だと言うかもしれない。でも僕は一人じゃないよ。いつかあなたも僕達の仲間になるって願ってる。そして世界は一つになっていくんだ。」
時間の法則は、本来の普遍的な計時周波数により、世界はすでに一つだと断言します。分離を選択したのは人類のみです。人類の分離は、時計と誤った尺度のグレゴリオ暦による生活によって再強化され、それは全ては一つという世界から人間を更に遠避けてしまいます。時間の法則は、13の月の暦に変える世界の平和の活動に参加する、惑星のキン全員を夢想家と呼びます。それでも、新しい時間のキャンペーンを、そして世界が一つになる事をイメージしましょう。
7:共時的な秩序の科学の勝利は、地球平和の新しい時間の預言の成就を実証します。すでにそれはジョン・レノンの「イマジン」の中にも書かれています。私達は、暦を変えるというゴールに到達するためには、克服すべき多くの障害があるという事実に縮み上がってはいません。そして、暦の変更が受入れられ達成された後にも、新しい時間への変革に伴う煩わしさ、多くの障害や困難がある事を私達は否定しません。しかし、前に何度も言われてきたように、私達は世界戦争に力を注ぐことができるのですから、それなら何故、世界平和の為に力を注ぐことができないのでしょうか?新しい時間のために力を注ぎませんか?私達が先の世界大戦中に原子爆弾を製造をしたのだとしたら、世界平和の新しい時間の為、私達全員が力を注いだら、どんな事が為し遂げられるかイメージしてみませんか?
唯一、時間の科学だけが地球に平和を確立することができます。時間の科学は、惑星芸術ネットワークを通じて準備され、そして世界中で実践されています。13の月の暦に変える平和の活動の社会の形態である、惑星芸術ネットワーク(PAN)は、新しい時間のキャンペーンの促進、実行に懸命に取り組む人々のネットワークです。ポイントはこうです、暦の掛変えは、13の月の暦に変えるというシンプルで実用的なゴール達成という目的を、一つにまとめる素晴しい機会をつくります。このゴールの到達は、将来における素晴しい機会と、世界規模で新しい時間のスタンダードを施行するための、2004年から2005年にかけての宇宙的な停戦を意味します。
これを試してみませんか?いつ、どのようにして、恐れや不信感を克服できるのでしょう?他にどんな平和計画がうまく行ったでしょうか?他にどんな、全ての環境問題や人同士の対立問題を解消する、普遍的な平和のプランが提唱されているでしょう?ローカル・カレンダーを断念するよう、要求されている人は一人もいません。しかし、新しい時間のキャンペーンは、グレゴリオ暦から、地球の新たな標準として調和と平和の13の月の暦に変える活動の支援を、全ての人々に呼びかけます。このキャンペーンは、時間の法則と歴史の記録によって、13の月の暦へ変える平和の活動をバックアップします。新しい時間のキャンペーンは、理解と話し合いの双方によって、地域的・歴史的な対立を超えた地球規模の対話に焦点を当てる事、地球の新しい基準としてどの様に平和裏に暦を置き換えられるかという事を紹介します。この活動を平和裏に達成することは、共時的な秩序の勝利です。まず惑星を取り巻くコミュニティから始まり、次の三年で、暦を変えるための国民投票を創りだし、ついには惑星地球の人々によって暦の変更が実行に移されます。
これらの考え方とこの資料の全ては、ブラジルとアルゼンチンへの最近の旅行がきっかけとなりました。
そこで、この話の種を巻いてから5〜6年になりますが、人々の一生懸命な活動は、今豊かに成長し広がりを見せています。この3週間の旅行中、それは2012年の日付の意識を目覚めさせる、進化の思い出と関係がある様に感じられました。そうです、2012年の日付は進化の目覚ましベル、時間から時間への目覚め、それは時間を変える時間の呼びかけです。全てのマヤの予言が終了する2012年、その日全ての歴史が一つに集約されます。そしてそれに関して以下のような記述があります。「もし人類が、生命のウェブを絶滅する現在の道に留まるなら、人類は2012年の終わりには、私達が 10% / 50% Safeguard Threshold Providenceと呼ぶ状況へと入って行くだろう」
これは私達人類種のオメガ・ポイントです。
もしホモサピエンスがこの生命のウェブを破壊すれば、未来に生き残るチャンスを求める賭は終わります。深刻な疫病の発生などから大量の人が亡くなり、私達は7世代の内に絶滅するでしょう。私達は、オメガポイントを通過する前に目覚めなければなりません。人類は、地球上全ての生命に対する大虐殺を直ちに止めなくてはなりません。さもないと、私達は生命の絶滅という大きな代価を支払うことになります。(リヴァース・ネットワーク・ニュースレター。2001年4月。http://www.lovearth.net)
「今、目覚める事」は、最もシンプルで実際的な方法である、平和の13の月の暦を用いて変化を起こすという事です。
毎日の意識を変えるためには、これ以上確かな方法は他にはありません。
以下の統計値を考察してみましょう。2001年の惑星の月(G4月)、この惑星では1時間当たり9,000人の人口が増加しました。これは、一日毎に216,000 人,一週間毎に1,512,000人、一月毎に6,048,000人の計算になります。13の月の数え方だと、一年(13ヶ月)78,624,000 人+時間をはずした日216,000人の合計で、 78,840,000人(365日毎)になります。2012年の惑星の月までに、867,240,0000の人口増加です。2012年の12月21日までには、921,672,000の人口増加となり、これはインドの人口に匹敵します。
13のバクトゥンの終わりに見積もられた人口(2001=61億)を合計してください。もし私達が、誤った時間における汚職や戦争等の問題を解決できなかったとしたら、更に増える10億以上の人口を、マヤの大きな周期が閉じられる2012年までに、どう処理するのでしょうか。歴史は年代順の時間であり、歴史以前は共時的な時間です。時間は流れるだけではありません。時間は放射します。これは共時的な秩序の性質です。共時的な生き方には、未来も過去もありません。むしろ、完全な原型としての過去は、原初から続く現在に息づいています。そして、明日は常に今日完了されなかった事の購いです。宇宙的な気づきは、誤った時間の尺度で生活し、自らの混乱に身を任せている私達を解放するための贈り物です。私達の進化の道筋は、目新しい事や科学技術の必要性を通り過ぎ、私達をイルカ達の競争相手にだってしてしまうでしょう。意図的に送りだされた智慧や理解のきらめくウェブの鼓動の中、私達の放射的な思考のプロセスは、私達を取り巻く世界と、お互いにテレパシー的にコミュニケーションするようになるでしょう。
これらの全ては、既に本に記されています。それは私たちでは無く神のする事です。そして、テストを受けなくてはならないのは私達です。これら全ては、遠い昔に既に予見されています。ジャングルの中にあるマヤの寺院で。その寺院は、他の建物や庭園の集まる中央に置かれ、頂上へと続く広い階段のある、簡素で優雅で威風堂々とした造り・・・。
これら全ては、遠い昔に既に語られています。(グラフィック7、パカル・ヴォタンの墓の石棺のふた)
束の間の熱帯の黄昏が夜へと変わります。?
たいまつの灯りが、シンプルな石の寺院の内部の壁に揺らめきます。
長老は、一人の女性と二人の若者に向かい、シンプルな織物のマットに腰を下ろしています。長老の髪は、翡翠の髪止めで後ろにまとめられています。
長老は、静かにそして整然と語ります。
時おり彼は火鉢にコパルの欠片を加え、それを椰子の葉で扇ぎます。
芳しいコパルの煙は、青い螺旋を描きながら羽の様にふわりと舞い上がります。長老は語り続けます。
「そう、私が自らの力の時間に入ってから34年が経過し、預言に備える時間はあと18年で完了します。
時間はそれしか残されていません。まもなく私は自分の寺院、法則の寺院を建てる準備をするでしょう。
そして、その寺院の内部の壁に全ての手掛かり(コード)を残す準備をするでしょう。その建物に、地下の私の墳室に、小さなシバルベイ( little Xibalbay)に、私のために来る時間の神々・ボロンティクへと続く道筋を残すでしょう。
この全ては本に記されています。このすべてはずっと以前に予見されていたのです。全ては、遠いトーラン、別の世界の、もう一人の私自身によって既に語られています。私が既に終えた事や、まだ終えていない事をどのように完了させるかということは、既に予見されそして語られています。「私の墓は、遠い時間に生きる人々に教えるための手掛かり(コード)になるでしょう。 私の墓は、その時代の人々のレッスンとなるでしょう。その時代には、私たちの知恵を知る人はもう誰もいないでしょう。ほんの一握りの人々が日々の数え方を知るだけで、時間そのものを知ることは無いでしょう。もうそれは誰にもわからないでしょう。こうして語られているように、私は自分の墓にメッセージを残し、発見者(墓そのものの発見者では無く、墓に残されたメッセージを発見する者)は、今と同じ神聖な時間の計算法で、日々の計算とは異なる計算法を確立するでしょう。しかし、それによってのみ、時間の中に満ちた豊かさと、私の墓と墓のメッセージの発見の両方が、再び知られる事になるかもしれません。それらは予見されています。それらは語られています。しかし、遠い昔はるかなトーランで、それらは語られてきたのです。
「そして大きな周期が閉じらる前、私の墓のメッセージを発見する者は、その時代の地球の人々を救うために、the tun ucの計算法、7と4と13の計算法を示さなければなりません。この様にすれば、時間の豊かさの知識が再び戻って来るでしょう。役に立たない過ちの計算方法は、ただ人々を迷わせるだけでしょう。この様にして人々は迷うのでしょう。人々は、それが彼等の誤った計算法のせいだと言われても信じないでしょう。手に負えない混乱が彼等の誤った計算法のせいだと言われても信じないでしょう。その誤った計算法は、尺度や基準を持たず、実体の無い世界と略奪があるだけ。それは、恐ろしい音や金属のクラッシュ、雷よりももっとひどい爆発の原因であり、かつて無かった程、生命の破壊を引き起こしています。」.「私の墓は、周期の閉じられる3カトゥン前にだけ発見されるでしょう。私の墓の完成から63(1カトゥン=20年)カトゥン後、それはついに姿を現すでしょう。」これらの預言は、周期が閉じられる前の二番目のカトゥンの終わる時にだけ、知られることになるでしょう。このことは、ただ唯一のカトゥン、最終のカトゥン、特別な13アハウ・カトゥン、私の墓の完成から66番目のカト?ン、それだけが私達に残されている事を意味します。これらが成し遂げられた時、人々が誤った計算方法を止めた時、地球の人々が、今私が覆いをはずして見せている知識を持った時、その時、地球の長老達が再会する評議会への呼び掛かけがあるでしょう。彼等はやって来るでしょう。
彼らはそれが誰であるかを知るでしょう。これら全ては予見されています。これら全ては語られています。・・・これら全ては本に記されています。これは時間の使者からのメッセージであり、そして墓の声による証言です。
青い銀河の嵐の年、スペクトルの月8日、キン126、スリサズの月、神聖な奮闘、
アルクトゥルス統制2001年、青い銀河の嵐の年、スペクトルの月17日ー19日、
マウントフッド・ヴィレッジ、カスケーディアン(Mt. Hood Village, Cascadian)での、PAN 13の月の暦に変えるリーダーシップ世界会議に代わり、時間の法則のための財団により用意され差し出される。
参考資料:デイヴィッド・ユーイング・ダンカン、「カレンダー、真実かつ正確な年を確定する人類の史詩の奮闘」
ニューヨーク、エイボン・ブックス、1998年
ブロートン・リッチモンド、「時間測定と暦の構築」ライデン、E.J.ブリル、1956年
Copyright (c) 2001 by Jose & Lloydine Arguelles
Japanese translation (c) 2001 13-MOON TRANSLATION TEAM